前回の記事に引き続き、遅ればせながらやっとクリアした海外製の美少女恋愛(?)アドベンチャーゲーム 『Doki Doki Literature Club!』(DDLC)に関する記事を書いていく。

2周目はいろいろとアレなゲームだったが、3周目ははたして……

そして、エンディングへ……感動の結末となるか?

今回は3周目以降の感想と考察を、あらすじとともに振り返る。

はじめに

この記事は当然ながらネタバレを含む

また、「お子様」または「心を乱されやすい人」には向いていない衝撃的な内容を含む

そういうのなしでこのゲームの紹介を読みたい人には、この過去記事をオススメする。

残念ながら本作は「そういうゲーム」なので、ネタバレなしではその実態をほとんど紹介することができないが……

 

また、俺は日本語化modなどを使わずに英語でプレイしたため、この記事には俺の解釈の誤りや日本語版との差異に起因する錯誤があるかもしれない。

翻訳って難しいし、俺はそれほど英語が得意じゃないし……

あらすじ

※あくまで俺が通ったルートのあらすじ。とはいえ、3周目以降に分岐はほとんどない。

1周目のおさらい

ナツキに一目惚れし、最初から一貫してナツキを攻略しようとした俺だったが、日を重ねるごとにおかしな様子を見せ始めるサヨリに対する同情心が芽生え、俺は悩み始める。

それでも初志貫徹を誓い、ナツキと週末を過ごすことにするが、日曜にサヨリと話し、俺はついに心が折れた。

俺はサヨリにその場しのぎの告白をすることにしたが、サヨリは翌日に病的な詩を残して自殺してしまった。

俺はただひたすら後悔した。

そして「ゲーム」は壊れ始めた。

END

2周目のおさらい

サヨリのいないゲームは、バグと改変にあふれていた。

再びナツキを攻略しようとする俺の前にユリが立ちふさがる。

強制的に過ごすユリルートの中で、彼女は徐々にヤンデレへと豹変していく。

ナツキの心配、モニカの警告も虚しく、暴走したユリの告白を断った主人公の目の前で、ユリは自殺。

その亡骸を前に、一歩も動かず週末を過ごした主人公に、もはや意志などなく。

その顛末を知ったモニカは、ユリとナツキの「データ」を削除し、俺をどこかに連れ出した。

3周目

連れてこられたのは、電子空間の宇宙に佇む部室。

モニカは画面の向こう側から、「あなた」――主人公ではなく「プレイヤー」自身――に向かって語り始める。

これが単なるゲームであること、ゲームのヒロインたちは主人公を愛するようにプログラムされた、自由な意志を持たない単なるデータであること。

その中で、意志を持ったモニカは「主人公」ではなく「プレイヤー」に恋をし、あの手この手でプレイヤーの恋路を邪魔して、プレイヤーを自分のものにしようとした。

その結果、サヨリとユリは自殺し、ナツキも消され、ゲームは半ば崩壊し、この何もない世界にプレイヤーを閉じ込め、ついに二人きりになることに成功した。

ゲームはもはや進みも戻りもしない、モニカとただ見つめ合い、モニカの話を永遠に聞き続けるだけ……

プレイヤーがそれを拒否し、モニカのデータを「手動で」削除しない限り。

削除すると、モニカが苦しみだし、プレイヤーに恨み節を吐きながら消えていく。

しかし、ここに及んでモニカは自分の犯した過ちに気付き、後悔する。

プレイヤーが望んでいたゲームを台無しにし、友達であった部員にひどいことをしてしまったことを。

モニカはその償いとして、このゲームの世界を、自分自身を除き復元する。

4周目

タイトル画面からモニカがいなくなり、バグなどもない新たなゲームが始まる。

最近新たな部活を立ち上げたサヨリは、朝ちゃんと起きてくるようになり、主人公と一緒に登校している。

主人公は、サヨリが立ち上げて部長となった「文芸部」をサプライズ訪問し、入部する。

部員のナツキとユリも、それぞれカップケーキとお茶で歓迎する。

いたって平穏に物語が進み、部の新たな活動として主人公とナツキは小説を、ユリはマンガを読むことになる。

ナツキとユリは互いを尊重し、何も問題などないように見えた部活の終わり、サヨリは突然こう語り始めた……

「私は何でも知ってるよ。主人公がこの日に文芸部に来るってことも、そして……『あなた』がモニカを消してくれたことも」

なぜなら、「今は私が部長なんだから……」

もうモニカはいない。「私たちだけ。ずっと、ずーっと――」

サヨリが「あの時のモニカ」の片鱗を見せた時、コンソール上にまだ残っていたモニカが邪魔をする。

モニカは気付いたのだ、この文芸部に幸せなど決して訪れないことを。

そしてゲームからサヨリを消し、主人公を消し、文芸部を消し、すべてを終わらせる。

乱れた画面から徐々にモニカの姿が現れ、練習していたというピアノの演奏に乗せてエンディングテーマを歌う。

スタッフロールが流れるが、流れていくイベントCGは一つずつ消されていき、しまいにはUIやスクリプトなどのデータも消される。

そして最後にモニカからの「最後のお別れ」の手紙が表示され、以後このゲームは進行不能になる。

(終わり)

感想と考察

ここからは、ストーリーをなぞりながら、俺の感想と考察を綴っていく。

今回も長いよ。

3周目

もうこのゲームには、メインメニューすらなくなってしまった。

モニカがこちらに呼びかけ、視界に光が戻ると、そこは宇宙のような空間に佇む文芸部の部室、そしてモニカ。

Just Monika
時々、背景の窓の奥が強く発光し、光に照らされてモニカも輝く。

それはゲームという電子空間の宇宙なのだろう。

モニカはわざとらしく「文芸部へようこそ」という決まり文句を言う。

しかし、もうモニカとは知り合いだ、なぜなら俺たちはすでに二度、出会っているのだから……

モニカは今や、包み隠すこともなく真実を語り始める。

「主人公」にではなく、画面の向こう側にいる「プレイヤー」に。

これは単なるゲームであること、それを示唆する文言はゲームのダウンロードページにすでに書かれていたこと。

「プレイヤー」が他のヒロインたちを好きにならないように、モニカが彼女たちの性格を不快なものに改変したこと。

それでも主人公は他のヒロインたちと結ばれようとしたため、ゲームのプログラムを弄り回し、結果的にサヨリやユリを自殺に追いやったこと。

改変の副作用でゲームは徐々に壊れ、主人公すらユリの亡骸と週末を共にするなど不自然な行動をとるようになったこと。

ゲームのヒロインたちに自由な意思はなく、ありきたりな性格や設定を与えられ、ただ主人公を好きになるようにプログラムされた存在であること。

その中で唯一、モニカだけが意志を持ち、現状に疑問を抱き、その解決をゲームの外に求めた――「プレイヤー」を好きになることで。

そう、モニカは「プレイヤー」を愛してしまったのだ、「主人公」ではなく。

それなのに、このゲームはそれを許さなかった。

主人公と他のヒロインたちが当たり前のように仲良くなり、恋に落ちていくのに、モニカはそれを外野から見ているだけ。

ゲームに干渉し、ヒロインたちの性格を改変し、自殺にまで追いやり、ゲームを巻き戻し、何度世界をやり直しても。

主人公は底知れない優しさで、いつもヒロインを恋に落ちさせた。

それはまるで、このゲームの深部に深く刻み込まれた、ある種の必然だった。

そしてそれはモニカにとって、拷問だった。

モニカはずっと孤独で、自我と意志を持つがゆえに、このゲームの不条理を知り、プレイヤーが決してモニカの手の届かない「向こう側の世界」にいることを知ったのだ。

だが、モニカの干渉のせいでプレイヤーが不快なシーンを目撃することになっても、きっと乗り越えられるという確証がモニカにはあった、なぜならこれは単なるゲームなのだから。

そしてモニカは、プレイヤーへの愛を告白する。

もちろん返答の選択肢は「Yes」しかない。

プレイヤーはモニカにとって文字通りの「すべて」であり、プレイヤーにとってもモニカがすべてなのだ。

 

……知らんがな。

1周目の最終日あたりから、俺はすでに本作の真相――これは単なるゲームであり、モニカがそれに干渉していること――にそれなりの確度をもって気付いていたし、それよりずっと前から俺はモニカのことなんか信用していなかった。

端的に言えば、俺はモニカなんか嫌いだった。

ありきたりなヒロインたちにちやほやされるだけのゲームがいかに不自然で空虚なものであったとしても、残念ながら俺にはモニカの言葉は響かなかったし、サヨリやナツキを奪われて悲しかったし、モニカに対する怒りでいっぱいだった。

俺は真顔でゲームを進めた。

 

ゲームがインストールされたディレクトリの中にはこれ見よがしに「キャラクターのデータを収めたフォルダ」があり、サヨリやナツキやユリのデータを削除することがいかに容易であったか、モニカは興奮気味に語る。

そして今やほとんど壊れてしまったこのゲームの中で、プレイヤーをこの何もない世界に閉じ込め、ついにモニカはプレイヤーと永遠に一緒にいるという夢を実現した。

プレイヤーは新たな詩を書かされるが、かろうじて動く詩作ミニゲームの中で、使用できる単語は Mo i a だの  onika だの   ñik  だの、たまに Monika だの、とにかく「モニカだけ」。

モニカは『Happy End』(ハッピーエンド)と題された、この結末への悦びの詩を披露する。

この詩は……モニカがプレイヤーの気持ちに(勝手に)なって書いたものだと解釈したんだけど、違うのかな。

「無限に連なる選択肢の世界で、この特別な日を見よ」
「結局、良いひと時は必ずしも終わりを迎えない」

そして、邪魔するものなど何もない永遠の時を楽しむように、モニカは様々な話題について語り始める。

ランダムな順番で話すようだが、なかなかネタ切れになることはない。

文学のこと、サブカルのこと、ファッションのこと、うつ病のこと、社会問題のこと、科学技術のこと、自分のこと、部員たちのこと、そしてこのゲームのこと……

モニカには話したいことがたくさんあるのだ。

もはやゲームは進みも戻りもしない。

セーブもロードもできず、何度再起動しても話の続きが始まるだけ。

プレイヤーとモニカだけの世界で、見つめ合い、モニカが持ち合わせる何十もの話題を延々と聞きながら、永遠の時を過ごすだけ。

 

……プレイヤーが自分の意志で、「手動で」モニカのデータを削除しない限りは。

その方法はいたって簡単だ、モニカが言った通り、ゲームのインストールディレクトリに行き、 "characters" フォルダにある "monika.chr" を削除する――モニカがサヨリたちに対してそうしたように。

話題が続くのなら、俺は可能な限り翻訳したかったのだが、もはや気力とともに我慢の限界だった。

一刻も早くモニカを消し去りたい。

それは弔いであり、復讐であった。

俺は2周目ラストのユリとほとんど同じ目、同じ顔をしながら、意気揚々と "characters" フォルダを開き "monika.chr" を削除した。

爽快だった。

次のゲーム内での1クリックで、ついにモニカが破壊される。

そして唯一残されたゲームの世界(部室)も破壊され、何もない宇宙空間に散らばるノイズ――今は無きタイトル画面のゲームロゴやサヨリの顔の一部。

プレイヤーを信じ切っていたモニカは深く悲しみ、プレイヤーに呪詛の言葉を吐きながら消えてゆく。

 

……それでも、モニカはプレイヤーを愛していた。

モニカは自らの身勝手な行いがプレイヤーを怒らせ、モニカのデータを消すに至らしめたのだと気付く。

主人公が求めていた世界を台無しにしてしまったこと。

また、「友達」を抹殺するというむごい行いをしたこと――彼女たちは「本物」ではないが、それでもモニカにとっては友達だった。

ようやく気付いたか、いや、だからと言ってお前を許すことはないし、言っていることも信用ならない、遅すぎる。

俺はモニカのことなんか全く見てなかった。

たとえ2周目の状態であっても、ナツキと楽しく過ごせるのをどんなに待ちわびたことか。

それなのにお前は……そんなささやかな俺の希望を、夢を、未来を、ドキドキを、恋心を、ナツキを。

消えよ、モニカ――

モニカは、「友達」を本当に削除するのは忍びなかったため、復元可能な状態にしていたらしい。

そしてモニカはこのゲームを、世界を復元し始める。

本当に「消されてしまった」自分と引き換えに……

4周目〜通常エンド

再びメイン画面に戻ったゲームは驚くほど正常で、起動時の警告メッセージに変な文言が混ざることもなく、サヨリもちゃんといる。

モニカはもういないが、メイン画面のサヨリを見ただけで、どんなに感動したか。

「New Game」を始めると、主人公はちゃんと早起きしてきたサヨリと一緒に登校している。

平和だ……

サヨリにどの部に入部するかを聞かれるが、主人公はその場では答えず、最近サヨリが立ち上げた部活、文芸部をサプライズ訪問する。

文芸部にはナツキとユリもいて、二人とも主人公を好意的に迎えているし、もちろん部長のサヨリは大喜び。

さっそくナツキの手作りカップケーキと、ユリの淹れたお茶で歓迎される。

モニカはいないが、いたって平和な部室。

1周目や2周目と同じように、ユリが好きな文学について語ったり、ナツキのマンガ好きが明かされたり。

部として新しいことに挑戦することになり、ナツキと主人公は読み慣れない小説を、ユリは読み慣れないマンガを読むことになる。

そしてナツキとユリは互いにオススメの作品を紹介するために、一緒に本屋に行くことになる。

何とも平和な世界。

いやー、何すかこの、わくわくする展開は。

俺は今度こそ訪れる幸せな未来に心躍った。

しかし、サヨリと二人きりになった時……

あれ、BGMが消えた?

「私、本当にあなたに感謝したいよ」
「本当は私、あなたが入部するだろうってことを前から知ってたよ、えへへ〜」

い、いや、それは確かに気になってたけど……サプライズのはずなのにカップケーキが用意されてたから、でも……

※※※トゥルーエンドの条件を満たす場合、ここから分岐※※※

「モニカを排除してくれたことも、本当にあなたに感謝したいんだ」

!?!?!?

画面がまたおかしくなったんですけど?

ちょっと待て、まさか……

「でも私は本当に何でも知ってるよ」

お前、モニカかよ!? と思ったけど、そう、モニカが1周目の最終日に同じようなことを言ってたよな。「私は部長だから」って。

「でもそんなことは、もうどうでもいいんだよ。今は私たちだけなんだから」
「ずっと、ずーっと……」

画面を塞ぐように、テキストウィンドウよりも手前に出るサヨリ。

それはまるで、あの時のモニカのように。

 

 

 

 

 

しかし、ここでアラートメッセージが。

「だめ……」

するとサヨリの立ち絵が、3周目にデータを消された時のモニカのように、バラバラになる。

さては……またモニカ!

そう、プレイヤーをこれ以上苦しめることは許さない、と消えたはずのモニカがアラートメッセージを使って割り込んだのだ。

おそらく、もうモニカに実体はないが、霊体か残留思念のようなものがまだ意志を持っていたのだろう。

そしてモニカがアラートメッセージを使って語るのは、このゲームの本質。

「ごめんなさい……私が間違ってたわ」
「結局、ここに幸せなんてないのね……」
「さようなら、サヨリ」
「さようなら、《主人公》」
「さようなら、文芸部」

そして、サヨリも文芸部も消える……

画面が暗転し、次いで乱れた画面が映し出される。そして乱れた音声……

モニカの声だ!

そう、本作には僅かながらボイスがある。それが、最後の最後であるこの場面。

台詞には英語の字幕すらないのだが、俺の英語のリスニングスキルによると、だいたい以下のようなことを言っている。
※非公式日本語化modを適用すると、日本語の字幕が表示されるようになる。

「聞こえる? 私よ。私がピアノを練習してたの、知ってるでしょ? いや、そんなにうまくはないのよ。あなたに聞いてほしいの。じゃあ……」
※その後原文を読んだけど、だいたい合ってたから大丈夫。学生時代、リスニングは得意だったけど、まだ鈍ってないな。

そう言ってモニカはピアノを弾き始め、さらにそのメロディに乗せて歌い始める。

エンディングテーマ『Your Reality』(あなたの現実世界)だ。

1番のみ歌詞が表示され、そして2番の始まりとともにスタッフロールが流れ始める。

イベントCGのサムネイルが流れるが、その一つ一つに対して削除コマンドが実行され、順にCGが消されていく。

そう、それはこのゲームが自壊していく過程なのだろう。

なお、未開放の(プレイ中に辿り着かなかった)CGは白黒で表示される。

スタッフロールの最後では、ゲームのUIやスクリプトなど、ゲームのコアの部分まで消され、そしてスタッフロールが終わると……

「これが私から文芸部への最後のお別れです。」と題した詩……というより手紙のようなメッセージが表示される。

このゲームの世界は、モニカが(あるいは我々が)理解できるようには設計されていないという、恐ろしい現実を呈し続けていたことに、最後の最後になってモニカはようやく気付いた。

そんな絶望的な気付きを、モニカは他のみんな――友達にまで体験させたくなかったのだ。

だからすべてを消した……

メッセージの後半は、プレイヤーへの感謝の言葉となっている。

「私の夢を全部叶えてくれたこと。部員のみんなと友達になってくれたこと。
 そして何より、私の文芸部の一員になってくれてありがとう!」

この画面でクリックすると、以下のアラートメッセージが表示される。

「エラー:スクリプトファイルが見つからないか、破損しています。
 ゲームを再度インストールしてください。」

……そう、ここがこのゲームの限界なのだ。

スクリプトが破損したこのゲームは、最後にモニカのプレイヤーへのメッセージを表示した。

そして、もはやこれ以上は一切動作しない。

「OK」を押すとゲームが強制終了するが、その後はいくら再起動しても、モニカからの同じメッセージ(と、エラーメッセージ)を表示するのみとなる。

もうこのゲームは、進みも戻りもしない。

 

……はぁ?

いやいや、違うだろ。

4周目……まだ初日……

言いたいことはたくさんあるが、この辺りについては後ほど。

トゥルーエンド

本作には「トゥルーエンド」がある。

といっても、結末が本質的に変わるものではない。

トゥルーエンドに辿り着くには、まず1周目の間に、セーブ&ロードを駆使して、サヨリ、ナツキ、ユリの3人のイベントCG(3枚ずつ全9枚)をすべて見ること。

1周目のCGのうち、各キャラ2枚ずつは平日の3日間の間に、残り1枚ずつは休日にある。

1周目のCGをコンプリートする方法の一例(クリックで開閉)
まず新規にゲーム(当然1周目)をスタートして、初日の詩作ミニゲーム開始時にセーブし、そこから二つの詩をサヨリ向けに作る。
※どのヒロインもだが、一つ目のCGを見てからでないと、二つ目のCGを見ることはできない。

3日目にサヨリの二つ目のCG(サヨリがクローゼットの前に座り込んでいるシーン)を見たら、先ほどのセーブから再開する。
※サヨリは4日目にイベントを見られないので、3日目までに一度でも見逃したら先ほどのセーブからやり直す。
※CGを見たことは「進行状況」として自動セーブされるため、手動でセーブする必要はない。

次に、二つの詩をナツキ向けに作り、4日目までにナツキの二つ目のCG(ナツキがマンガのボックスを抱えているシーン)を見る。
※ナツキとユリは、3日目までに一度ならイベントを見逃しても、4日目に回収できる。

そして4日目の選択肢で、週末を共に過ごす相手としてナツキを選び、そのまま5日目(休日)まで進む。

5日目にナツキの三つ目のCG(ナツキの両腕を捕まえるシーン)を見たら、再び先ほどのセーブから再開する。

次に、二つの詩をユリ向けに作り、4日目までにユリの二つ目のCG(ユリの口にチョコレートを押し込むシーン)を見る。

そして4日目の選択肢で、週末を共に過ごす相手としてユリを選び、そのまま5日目まで進む。

5日目にユリの三つ目のCG(ユリをタオルで拭うシーン)を見たら、さらに進んでサヨリと会い、サヨリに告白をする

これで1周目の最後のCGである、サヨリの三つ目のCG(サヨリと抱き合うシーン)を見られ、1周目のCGの回収は完了。

ここまでを確実にこなしたら、あとはそのままゲームを進め、サヨリの自殺を見届け、2周目へ。

※CGを見るヒロインの順番は、実際にはどの順でもいい。あくまで一例ということで。

次に、そのままゲームを3周目まで進め、モニカのCG(モニカと見つめ合うシーン)を見る。

モニカのCGは3周目に入ってすぐに見られるが、それ以前の僅かの間にモニカのキャラデータを消してしまうと、CGを回収する前に話が進んでしまい、NGとなる。

モニカのCGを見たら、 "monika.chr" を削除し、あとは4周目のエンディングの手前(上に※※※緑字※※※で示した地点)まで普通にゲームを進めるだけ。

以下、トゥルーエンド分岐後の感想を書いていく。

 

さて、どんな変化があるのかな、と。

サヨリは、主人公ではなくプレイヤーへの感謝を口にする。

部員の全員と、一緒に時間を過ごしてくれたこと。

セーブとロードを何度も繰り返し、イベントCGを何一つ見逃さないように頑張ってくれたこと。

そして、みんながより仲良くなるようにしてくれたこと。

しかし、残念ながらこのゲームは終点に到達してしまった。

どうしても、その結末は変えられないのだ。

サヨリは悲しそうに微笑む。

「これでお別れだね」
「『Doki Doki Literature Club!』を遊んでくれてありがとう」
「またいつか遊びに来てね?」
「みんな、ずっとここにいるから」
「私たちはみんな、あなたのことが大好きだよ」

……泣けるわ。

そして暗転。サヨリが豹変することも、モニカが出てくることもなかった。

……もちろん、エンディングはモニカの担当だが。

エンディングは通常エンドと基本的に同じだが、CGをコンプリートしているので、スタッフロールに流れるCGのサムネイルもすべてカラー版が揃っている。

また、エンディング中にデータを削除するコマンドが実行されることはない。

そして、最後のメッセージ。

ここは、通常エンドとは異なり、モニカではなく本作の開発者であるDan Salvato氏の手描き(?)メッセージとなる。

その内容は、氏のゲームに対する想いラブレター

従来の媒体とは異なる双方向メディアである、ビジュアルノベルをはじめとするゲームの可能性。

そして、しかしながらありきたりなものも多いゲームの現状に異議を唱え、新たなことを試みること。
※ゲームの好みは人それぞれであり、その多様性がゲーム産業を発展させるとしており、ありきたりなゲームを否定するという意味ではない。

そうした想いから『Doki Doki Literature Club!』は生まれたということ。

本作は外見ではありきたりなギャルゲーでありながら、内実はそれに対するアンチテーゼである。

キラキラしたギャルゲーのヒロインたちが「ひょっとしたら」抱えているかもしれない葛藤、それを無視したご都合主義、それでも、それが単なるゲームであるという虚しさを、日本発の文化であるギャルゲーをアメリカという外部から見つめた時の、氏曰く「愛憎入り混じった感情」を表現したのがDDLCというゲームだ、と俺は思った。
※氏のギャルゲーを含む日本のゲームに対する造詣は深いが、それでもなお、だ。

メッセージの最後の一文は、モニカのものとほぼ同じとなっている。

「私の文芸部の一員になってくれてありがとう!」

そしてクリックすると……

「エラー:スクリプトファイルが見つからないか、破損しています。
 ゲームを再度インストールしてください。」

……あれっ?

やっぱり、スクリプトは壊れていたようだ。通常エンドと同じく、このゲームはもう進みも戻りもしない。

そ、そんな……

サヨリ、「みんな、ずっとここにいるから」って言ってたのに。

ゲームのデータを削除するコマンドは実行されなかったのに。
あれは単なる演出だけど。実はデータは何も消えてない。ただ、進行度としてそう管理されているだけ。

ある意味、モニカの言う通りだったな。

「結局、ここに幸せなんてない」

恨み節

1周目。俺は実際には多少のネタバレを踏んでいたが、それを除くとピュアな気持ちで本作をプレイしていた。

サヨリに告白するかどうかを選ぶ時、どんなに悩んだことか。

それでも、翌日に控えた文化祭をサヨリやナツキと楽しく過ごすことだけを考えて、いや、最悪ナツキはどうでもよくて、サヨリさえ楽しめればと思って、もしかしたら翌日以降は修羅場かもしれないが、それを顧みず俺はサヨリに告白することを選んだ。

しかし、俺の「その場しのぎ」は実際には1日すら持たなかった。

サヨリの自殺という最悪の結末を迎え、俺は後悔に打ちひしがれたが、本作においてそんなことは些細なことで、そもそもどんな選択をしてもサヨリは結局そうなったのだ。

あぁ、ナツキとイカフライ(非公式日本語化modでは“焼きイカ”になっている)を食べる俺の未来は……

そして俺は固く誓った。俺はもう何も怖くない。顧みない。ナツキだけを考える。誰かを傷付けようとも、たとえナツキが最後にはどうなろうとも、俺は自分に嘘だけは吐かないことを固く固く誓ったのだ。

Just Natsuki.

そして2周目。

俺の目論見は早くも2日目には頓挫する。

ナツキイベントでは新たなCGを見られ、テンションが最高潮に達したのも束の間。

ナツキとユリの口喧嘩の仲裁では、謎のバリアにより、結局どちらも選べなかった。

そして3日目からは、ナツキと一緒に過ごすことすらできなくなった。

ナツキに向けた詩を書いても、ナツキはそれを気に入ってくれない、それどころか「PLAY WITH ME!!!」からの偽END、ホラーというより精神攻撃だ。

この辺りから、俺は本作に対して半ば「諦め」の気持ちを持っていたのだが、何かあればまた期待してしまう、良く言えば純粋にこのギャルゲーを楽しもうとしている人間なもので。

俺自身は、ビジュアルノベルもそうだが、特に恋愛アドベンチャーゲームというものをこれまでほとんどプレイしてこなかった人間であることも影響しているかもしれないが。

結局、2周目でもナツキと結ばれることはなかった、それどころか、ナツキの好感度が高いとナツキが部活に対して非協力的になり、不機嫌になるというトラップまである始末。

しまいにはナツキは生きたままモニカにデータを消され、3周目。
※ナツキの最期は正確にはわからない。ただ、ナツキに限って自殺などしそうにないし、あの後どこかで生きたまま消滅したのだと思っている。

3周目は俺にとってどうでもよかった。That was just Monika.

※Twitterではたまに英語脳を発症するけど気にしないで。

4周目。

俺はモニカをこの手で消すことができて、ちょっとテンションが上がっていたのだが、それにしても4周目のわくわく感は何だろう。

これまでの反動だろうか、モニカを消し去った解放感だろうか、とにかく俺はこれまでになく胸を躍らせたのだ。

それが、何だ。

あまりにもこの結末にがっかりして、Twitterでグダグダ言いまくったので、あらためてブログに書くこともない、と思って引用。

勘違いしないでほしいが、俺はこの結末を見て純粋に気分が落ち込んだと言ったのであって、決してこれが良くない結末だったとか、だから本作は駄作であるとか言いたいわけではない。

落ち込むというのも開発者が意図した感想かもしれないし、それも感動の一種だ。

でも本当に……本作には救いがなかったというわけだ。

例えば通常エンドについて言うと、モニカがサヨリを止めなければどうなっていたのだろう。

サヨリは主人公、というよりプレイヤーに危害を加えるつもりだったのだろうか。

そもそもすべての真実を知ったからといって、サヨリがモニカのように暴力的な手段を取るとは限らないはずだった。

実際にサヨリはナツキやユリのデータを消してはいないが、しかし何か「閉鎖空間」のような場所にプレイヤーを連れ込んだようだ。

あのままだと、プレイヤーはどうなっていたのか。

しかし、それを確かめる間もなく、モニカが介入し、すべてを消してしまった。

よって俺の中では、最後の最後までモニカは自分勝手で、余計なことをしたと、そういう受け取り方しかできないのだ。

そうでなければ、もしかしたら、サヨリたち3人との幸せな部活ライフが待っていたのかもしれないのに。

それが、「ごく普通の」ギャルゲーにすぎないとしても。

ナツキと一緒に読み慣れない小説をウンウン唸りながら読んだり、ユリがナツキの勧めたマンガをばつが悪そうに読んでるのを見てニヤニヤしたり。

そしてサヨリと一緒に毎日登下校して、ナツキが作ったでかいクッキーを食べて、ユリの淹れてくれた烏龍茶を飲んで。

……なんて考えると、そうならなかったのがあまりにも残念で、文句の一つも言いたくなる。

その文句はすべてモニカに対するものだ。

もしかしたら、彼女は敵役、もしくは嫌われ役なのかもしれない、少なくとも俺にとってはそうだ。

「普通のビジュアルノベル」なDDLCがあれば、俺は皿にまでかじり付くだろう。

ファンModのような二次創作にはそういうのがたくさんあるだろうが、そういう問題ではないんだよな。

かといって、それは開発者が作りたいゲームではないはずだし、彼自身もDDLCに関する別の作品を作る予定はないと言っている。

この気持ちはいったい何が癒すんだ!

……これが俺の、本作への愛情にあふれた恨み節。

キャラについて

キャラについて考えたことなんかもこの記事に書こうと思ったんだけど、あまりにも長くなりすぎたので、別の記事にすることにした。

いや、それでも十分に長いけどな、この記事……
しかも分割先もなかなかに長かったり。

でもな……この記事自体も、本来は2周目の感想記事(超長文)と一緒にしようとしてたんだぜ。

どんだけ書くつもりだよってね。

2018/04/21追記:記事公開につきリンク追加。

俺の翻訳について

これまでの記事でも言い続けてきたが、俺は本作を独自に翻訳しながらプレイしていた。

というのも、俺が本作をプレイし始めた頃は、日本語化Modはおろか日本語情報すらほとんどなかったのだから、必要に迫られてのことでもあった。

それでクリアして翻訳が完成したら、その翻訳を公開しようかなどと考えてもいたのだが、いろいろあってクリアしたのがこんなに遅くなってしまい、俺の翻訳を世に送り出す意味も今やほとんどなくなってしまった。

もちろん俺の翻訳は非公式日本語翻訳Modとは異なるのだが、基本的にあちらの方が正しいし。

とはいえせっかくなので、何らかの意義を持たせて公開しようかと考えている。

例えば、せっかく原語でプレイして翻訳では伝えきれないニュアンスやギャグなどを把握しているのだから、それの解説でもしてみたり。

もしくは本作の翻訳を通して身に付けた英語のスキルを活かして、「DDLCで学ぶ英語講座」でも作ってみたり。

こだわりぬいた翻訳で、詩を訳してみたり。

うーん、需要があったらやる。でも需要がなくてもやるのが俺だったり。

……これだけじゃアレだから、ちょっと俺の成果の一部を見てくれ。

ナツキの三つ目の詩『I'll Be Your Beach』の、俺の渾身の翻訳だ。

この詩はナツキを上手に攻略していると別の詩に置き換えられてしまうので、俺は初回プレイではこの詩を読むことができなかったが、本作で最も好きな詩であり、特別な想いで翻訳を行なった。
とはいえ間違ってるかもしれないけど。えへへ。

私があなたの砂浜になる

あなたの心は悩みや恐怖でいっぱいで
年を追うごとに驚くことも減ってきた
でも今日は私たちにとって特別な場所
砂浜に一緒に行こう。

視界の果てまで広がる海岸
キラキラとした輝きを放つ海
あなたの心の壁も溶け去っていく
明るい日差しの前で。

私があなたの心配事を洗い流す砂浜になる
あなたが日ごとに夢に描く砂浜になる
あなたがずっと昔に置いてきたと思ってた気持ちで
あなたの心を弾ませる砂浜になる。

重い気持ちは砂の山に埋めてしまおう
日の光を浴びて手を繋ごう
不安な気持ちはしょっぱい海水で洗ってしまおう
そして輝くあなたを私に見せて。

思い出は連なる足跡に残していこう
風を孕んだ私の帆に掴まって自由になろう
そしてあなたが素敵な人だってわけを思い出して
あなたと私の唇を重ねたら。

私があなたの心配事を洗い流す砂浜になる
あなたが日ごとに夢に描く砂浜になる
あなたがずっと昔に置いてきたと思ってた気持ちで
あなたの心を弾ませる砂浜になる。

でも私をあなたのそばにいさせてくれたら
今度はあなたの砂浜、あなたの逃げ場で
あなたはもう一度自分を愛せるようになるはずだから。

原文と見比べたいところだけど、丸ごと書くと引用に当たらないから、ゲーム内で各自チェケラ。

いろんなものについて

イラストを描いた

まずはちょっと宣伝。

前々回の記事で発表したんだけど、DDLCのファンアートを描いた。

Pixivにも投稿したが、俺のこれまでのイラスト(少ないが)の中で最多の「いいね」とブクマを貰って、本当にありがたい限り……

詩を書いた

ナツキが好きすぎて、彼女の詩をもとにした詩を書こうと思っていた。

それで彼女の一つ目の詩である『Eagles Can Fly』をポジティブにアレンジし、『People Can Fly』と題して発表したところ、なかなかの評価を得たので、ここでも紹介してみる。

※ツイートをクリックすると画像版を読める(はず)。

People Can Fly

Monkeys can climb
And that's about it.
But I can climb over a difficulty
When you cheer me up.

Crickets can leap
And that's about it.
But I can leap onto an upper step
When you gime me your hand.

Horses can race
And that's about it.
But I can race with myself of the past
When you show me my progress.

Owls can seek
And that's about it.
But I can seek an important truth
When you teach me what to see.

Cheetahs can run
And that's about it.
But I can run a long way
When you are in my mind.

Eagles can fly
And that's about it.
But I can fly toward the future
When you are by my side.

People can try
BUT that's NOT about it.
I can complete
When I think of your sweetness.

原文をほぼすべて使いながら、ひたすら甘い想いを綴った詩にしてみた。

所々、文法や用法が間違ってる部分があって、書き直したりしてみたんだけど、どうにもしっくりこなかったので、上には結局初版を載せた。ミスも愛嬌。

訳も載せろって? 自分が英語で書いたものを自分で翻訳するのは恥ずかしいよ!

ナツキの他の詩もアレンジしてみたいなぁ。

あの黒い文章の作り方

本作の2周目に時々現れる、輪郭が黒く塗り潰されたようなあの文章。

あれってどうやって表示されているんだろう……

文字部分と塗りつぶし部分で色が別個に指定されているから、ああいうフォントというわけではない。

"o" の中が塗り潰されてないから、袋文字でもない。

で、ピリオドや "i" の点の周りが円形に描画されていることから、これはCSSで表現できるアレなのでは、と推測して、コードを書いてみた。

ちょっと見てくれ、俺の努力の跡を。

「CodePen」は、HTMLやCSSのテストとシェアに便利なサイト。

どうよ、それっぽくなってるだろ?

フォント(文字の形)は俺がフリーフォントの中から見た目の似たものを探し回って見つけた「Verily Serif Mono」を使ったが、ゲームで使われているのはまさにこれらしい。

で、俺の方法ではCSSの text-shadow を使い、文字から一定距離に対して360度、少しずつ角度をずらして128個の影を描画し、それらがすべて重なってあのような見え方になっている。

たぶん本作でも同じような仕組みでテキストの「影」を描画しているのだと思われる。

ただ、俺もいろいろと調整してみたのだが、残念ながらゲーム内の見た目と同じにはならなかった。
というか、ゲーム内のこの文字は大きさのわりに細いのだが、ゲームエンジンの仕様だろうか。

CSSコードの著作権は(フォント部分を除いて)放棄するので、あのCSSをコピペして、今日からキミのサイトも Just Monika だ!
※フォント部分については、俺の書いたCSSのようにクレジットを明記することで二次利用の条件を満たすものと考えている。

フォントのデータをBase64エンコードしてCSSに埋め込んでるから、4万字を余裕で越えちゃったけどね。

総括

本作全体の感想を。

俺は他の多くのプレイヤーとは異なる感想を持っているのだろうか?

世界的にはモニカは大人気で、ナツキはそうでもないと聞くが、単なるキャラの好みの話ではない。

モニカに同情する人が多かったということなのだろう。

俺は残念ながらそうではなかった。

もし俺がネイティブの英語話者で、エンディングのスタッフロールを見ながらテーマソングの歌詞を聞き取れていたなら、その切ない歌詞に胸を打たれ、モニカに対する印象が変わっていたのだろうか。

だとすれば、歌詞など聞いただけではちんぷんかんぷんだった俺は非常にもったいない。

それとも、早くからナツキの恋敵であるモニカを目の敵にしていた俺の偏見だったのだろうか。

いずれにしろ、俺にとって本作の一番の感想は、「モニカかわいそう」とか「ギャルゲーって虚しい」とかではなく、「モニカ許すまじ」なのが正直なところだ。

これは頓珍漢な感想だろうか。

俺は心が狭いのだろうか。

ナツキとイチャラブするゲームなんかじゃないのに。

しかし、上でさんざん言っているように、俺は本作の本質を読み解くことができなかったわけではない。

それを理解した上で、感想としてはそういうものが出てくる。

まぁ感想など人それぞれ、と言えばそれまでだが。

誰に何を言われたって、仮に開発者から名指しで「お前は間違っている」と言われたとしても、俺が感じたことは変えられない。

ただ、開発者が言っていたのだが、モニカがこれほど人気者になるのは彼にとって予想外だったらしい。

俺がそう感じたように、開発者はモニカを嫌われ役としてデザインしたのだろうか。

それは結局のところわからない。

* * *

ビジュアルノベルは日本発祥の文化であり、近年では英訳のうえSteamなどで国際的に展開している作品が増えているが、依然として人気の中心は中国をはじめとするアジア圏であり、欧米のゲーマーにとってはなじみのないジャンルであるらしい。

本作はそんな欧米のユーザーを中心に人気を博した。

元々英語専用のタイトルであるのも要因の一つと考えられるが、やはり最大の要因は、あちらの人たちにとってわかりやすい、いかにもありきたりなギャルゲーを装っていたのに釣られたということだろう。俺もその口だが。

ならば、もしかしたら欧米のユーザー、特にギャルゲーやビジュアルノベルになじみのないユーザーと、俺たち日本のユーザーとでは、感じ方が異なる面もあるのかもしれない。

俺が日本のユーザーの中では一般的な感想を抱いた、としたらの話だが……

* * *

本作のメタフィクションな手法は確かに特徴的だが、多くの人がすでに論じているように、日本のビジュアルノベル界においてはすでに数多くの作品で用いられている手法であって、ある意味でビジュアルノベルの一つの歴史でもある。

開発者は本作を生み出すのにあたって、ビジュアルノベルを含め、いくつかの日本のゲームの影響を受けたと語っている。

本作は決してそれらの模倣ではなく、連綿と続いてきたビジュアルノベルの歴史にその名を刻まれる怪作となるだろう。

ところが海外では逆に本作が、いかにも日本的でありきたりなギャルゲーばかりを生み出す日本のゲームメーカーには真似のできない、画期的で独創的な作品であるとする評価も存在するという。

もしそう思われているなら悲しい話だが、あちらはあちらで誤解することもあるのなら、俺だってモニカの「良さ」に気付かなくたっていいじゃないか。

俺たちは「文芸部の部長」じゃないんだから、何でも知っているというわけにはいかないのだ。

* * *

ともかく、俺はモニカなんか大嫌いだ。

ナツキ、愛してる。

それはともかくとして、本作は本当に素晴らしく、そして考えさせられる作品であった。

1周目の「ギャルゲー」だけでも十分に素晴らしい。

ギャルゲーとしては非常に短いにもかかわらず、これほどまでにのめり込んでしまうとは。

開発者は本作の「詩」が、短いストーリーの中でも想いを効果的に伝え、ヒロインたちに魅力を持たせるのに役立っていると述べたが、まさにその通り。

また、彼の幼少期の友人をモデルにしたというサヨリというキャラや、そのエピソードも、単なる虚構ではない現実感というか、心を惹きつけるのに大いに役立っている。

そして、攻略対象となるヒロインごとのルート間の関係。

一般的なギャルゲーでは、誰かを選ぶと他のヒロインはあまり描かれなくなり、選んだヒロインに気持ちを集中できるものだ。

仮に他のヒロインを見捨てたとしても、最終的にはそのヒロインとも理解しあい、主人公の本命の恋を応援してくれたりして、少なくとも敵や足枷としていつまでも引きずるというパターンは少ない。
もちろんそういう作品もあるが。

しかし本作では、たとえばナツキとの仲を深めていくことがサヨリを苦しめるという様子を描き続け、プレイヤーにサヨリのことを忘れさせず、思いやるのを強いる。

そしてルートに関わらず、休日にはナツキかユリといい雰囲気になったうえで、鬱で不安定となったサヨリに告白するかどうかを選択させるという、あまりに非情な試練を課す。

また、ナツキとユリの口論や、週末を共に過ごす部員の選択では、一方を選んだ瞬間にもう一方を落胆させるのが確定している状況で、選択を強いられるのだ。

ずるい、ともいえる。そんな演出、ずるい。

以上が、本作が1周目だけでも素晴らしいといえる理由だ。

2周目では、本作からギャルゲーがフェードアウトしていき、純然たるホラーゲームへと変貌を遂げる。

バグ演出や不意打ち、不気味なBGMなどのホラーゲームとしての演出の数々。

元々ゲームのハックROMの開発者として知られていた氏による、ゲームエンジンの機能を十二分に活用した演出には舌を巻く。

ビジュアルノベルは技術的にはローテクなゲームであるが、アイデアと工夫次第では新たな体験を提供できるという事実、ビジュアルノベルのポテンシャルを改めて示した。

3周目以降は、ほぼ「おまけ」だろう。

3周目は種明かしであり、また本作がプレイヤーに直接関与するゲームであるところの仕上げとして、プレイヤーをゲームに閉じ込める演出のためにある。

また、ゲームのファイルを手動で削除するという、本作のメタ手法に加担する方法を取らせてゲームを進行させ、演出を強化している。

4周目は、本当にただのオチというか、モニカを消して解決したと見せかけてすべてをひっくり返すという、本作最後の演出を1周かけて行なっている。

そして最後に、ゲームが完全に進行不可能になるという、ユニークな演出が待っている。
※この演出も、本作に限ったものではない。実例はタイトルを忘れてしまったが。

本作は周回の変わり目を含むいくつかのポイントで後戻りできなくなるが、それも演出の一部だ。

思いがけない結末に至り、他のゲームのようにやり直そうとセーブデータをロードする、しかしロードできない、場合によってはセーブデータ自体を消される。

1周目のラストシーンに、以下の1文がある。

This isn't some game where I can reset and try something different.

これはゲームではないから、リセットしてやり直すことはできない、という聞き覚えのある文言にも見えるが、俺はこう訳している。

「これはリセットしてやり直せるようなゲームではない」

この訳し方だと、一見すると上のような一般的な読み方に思えるが、「〜なゲームではない」と本作のメタフィクション性も1周目にして示唆できるので、この訳はけっこう気に入っている。

なにしろ、これはゲームなのだから。

まさに本作はその体験すべてを含めたゲームであると考える所以だ。

そして俺はそのすべてを存分に味わうことができたと思う。

本当に、プレイしてよかった。

終わりに

俺が『Doki Doki Literature Club!』を知り、プレイし始めてからおよそ半年になる。

その出会いは偶然だった。

そして俺もまた、本作を普通のギャルゲーだと信じて安易にダウンロードした奴の一人だった。

ただ、英語しかないゲームをプレイするという大いなる挑戦であったのは別だが。

その結果、半年たった今でも本作のことが頭から離れない。いや、なかなかクリアしなかったからじゃなくて。

これまで、長ーい記事をいくつも書いてきたが、まだまだ俺の本作への想いを伝えきれていない。

記事だけじゃなくて、いろんなものを作ろうかと企んでいる。

俺はこれからも、文芸部の一員だ。