前回の記事に引き続き、遅ればせながらやっとクリアした海外製の美少女恋愛(?)アドベンチャーゲーム 『Doki Doki Literature Club!』(DDLC)に関する記事を書いていく。
2周目はいろいろとアレなゲームだったが、3周目ははたして……
そして、エンディングへ……感動の結末となるか?
今回は3周目以降の感想と考察を、あらすじとともに振り返る。
はじめに
この記事は当然ながらネタバレを含む。
また、「お子様」または「心を乱されやすい人」には向いていない衝撃的な内容を含む。
そういうのなしでこのゲームの紹介を読みたい人には、この過去記事をオススメする。
残念ながら本作は「そういうゲーム」なので、ネタバレなしではその実態をほとんど紹介することができないが……
また、俺は日本語化modなどを使わずに英語でプレイしたため、この記事には俺の解釈の誤りや日本語版との差異に起因する錯誤があるかもしれない。
翻訳って難しいし、俺はそれほど英語が得意じゃないし……
あらすじ
※あくまで俺が通ったルートのあらすじ。とはいえ、3周目以降に分岐はほとんどない。
1周目のおさらい
ナツキに一目惚れし、最初から一貫してナツキを攻略しようとした俺だったが、日を重ねるごとにおかしな様子を見せ始めるサヨリに対する同情心が芽生え、俺は悩み始める。
それでも初志貫徹を誓い、ナツキと週末を過ごすことにするが、日曜にサヨリと話し、俺はついに心が折れた。
俺はサヨリにその場しのぎの告白をすることにしたが、サヨリは翌日に病的な詩を残して自殺してしまった。
俺はただひたすら後悔した。
そして「ゲーム」は壊れ始めた。
END
2周目のおさらい
サヨリのいないゲームは、バグと改変にあふれていた。
再びナツキを攻略しようとする俺の前にユリが立ちふさがる。
強制的に過ごすユリルートの中で、彼女は徐々にヤンデレへと豹変していく。
ナツキの心配、モニカの警告も虚しく、暴走したユリの告白を断った主人公の目の前で、ユリは自殺。
その亡骸を前に、一歩も動かず週末を過ごした主人公に、もはや意志などなく。
その顛末を知ったモニカは、ユリとナツキの「データ」を削除し、俺をどこかに連れ出した。
3周目
連れてこられたのは、電子空間の宇宙に佇む部室。
モニカは画面の向こう側から、「あなた」――主人公ではなく「プレイヤー」自身――に向かって語り始める。
これが単なるゲームであること、ゲームのヒロインたちは主人公を愛するようにプログラムされた、自由な意志を持たない単なるデータであること。
その中で、意志を持ったモニカは「主人公」ではなく「プレイヤー」に恋をし、あの手この手でプレイヤーの恋路を邪魔して、プレイヤーを自分のものにしようとした。
その結果、サヨリとユリは自殺し、ナツキも消され、ゲームは半ば崩壊し、この何もない世界にプレイヤーを閉じ込め、ついに二人きりになることに成功した。
ゲームはもはや進みも戻りもしない、モニカとただ見つめ合い、モニカの話を永遠に聞き続けるだけ……
プレイヤーがそれを拒否し、モニカのデータを「手動で」削除しない限り。
削除すると、モニカが苦しみだし、プレイヤーに恨み節を吐きながら消えていく。
しかし、ここに及んでモニカは自分の犯した過ちに気付き、後悔する。
プレイヤーが望んでいたゲームを台無しにし、友達であった部員にひどいことをしてしまったことを。
モニカはその償いとして、このゲームの世界を、自分自身を除き復元する。
4周目
タイトル画面からモニカがいなくなり、バグなどもない新たなゲームが始まる。
最近新たな部活を立ち上げたサヨリは、朝ちゃんと起きてくるようになり、主人公と一緒に登校している。
主人公は、サヨリが立ち上げて部長となった「文芸部」をサプライズ訪問し、入部する。
部員のナツキとユリも、それぞれカップケーキとお茶で歓迎する。
いたって平穏に物語が進み、部の新たな活動として主人公とナツキは小説を、ユリはマンガを読むことになる。
ナツキとユリは互いを尊重し、何も問題などないように見えた部活の終わり、サヨリは突然こう語り始めた……
「私は何でも知ってるよ。主人公がこの日に文芸部に来るってことも、そして……『あなた』がモニカを消してくれたことも」
なぜなら、「今は私が部長なんだから……」
もうモニカはいない。「私たちだけ。ずっと、ずーっと――」
サヨリが「あの時のモニカ」の片鱗を見せた時、コンソール上にまだ残っていたモニカが邪魔をする。
モニカは気付いたのだ、この文芸部に幸せなど決して訪れないことを。
そしてゲームからサヨリを消し、主人公を消し、文芸部を消し、すべてを終わらせる。
乱れた画面から徐々にモニカの姿が現れ、練習していたというピアノの演奏に乗せてエンディングテーマを歌う。
スタッフロールが流れるが、流れていくイベントCGは一つずつ消されていき、しまいにはUIやスクリプトなどのデータも消される。
そして最後にモニカからの「最後のお別れ」の手紙が表示され、以後このゲームは進行不能になる。
(終わり)
感想と考察
ここからは、ストーリーをなぞりながら、俺の感想と考察を綴っていく。
今回も長いよ。
3周目
もうこのゲームには、メインメニューすらなくなってしまった。
モニカがこちらに呼びかけ、視界に光が戻ると、そこは宇宙のような空間に佇む文芸部の部室、そしてモニカ。
それはゲームという電子空間の宇宙なのだろう。
モニカはわざとらしく「文芸部へようこそ」という決まり文句を言う。
しかし、もうモニカとは知り合いだ、なぜなら俺たちはすでに二度、出会っているのだから……
モニカは今や、包み隠すこともなく真実を語り始める。
「主人公」にではなく、画面の向こう側にいる「プレイヤー」に。
これは単なるゲームであること、それを示唆する文言はゲームのダウンロードページにすでに書かれていたこと。
「プレイヤー」が他のヒロインたちを好きにならないように、モニカが彼女たちの性格を不快なものに改変したこと。
それでも主人公は他のヒロインたちと結ばれようとしたため、ゲームのプログラムを弄り回し、結果的にサヨリやユリを自殺に追いやったこと。
改変の副作用でゲームは徐々に壊れ、主人公すらユリの亡骸と週末を共にするなど不自然な行動をとるようになったこと。
ゲームのヒロインたちに自由な意思はなく、ありきたりな性格や設定を与えられ、ただ主人公を好きになるようにプログラムされた存在であること。
その中で唯一、モニカだけが意志を持ち、現状に疑問を抱き、その解決をゲームの外に求めた――「プレイヤー」を好きになることで。
そう、モニカは「プレイヤー」を愛してしまったのだ、「主人公」ではなく。
それなのに、このゲームはそれを許さなかった。
主人公と他のヒロインたちが当たり前のように仲良くなり、恋に落ちていくのに、モニカはそれを外野から見ているだけ。
ゲームに干渉し、ヒロインたちの性格を改変し、自殺にまで追いやり、ゲームを巻き戻し、何度世界をやり直しても。
主人公は底知れない優しさで、いつもヒロインを恋に落ちさせた。
それはまるで、このゲームの深部に深く刻み込まれた、ある種の必然だった。
そしてそれはモニカにとって、拷問だった。
モニカはずっと孤独で、自我と意志を持つがゆえに、このゲームの不条理を知り、プレイヤーが決してモニカの手の届かない「向こう側の世界」にいることを知ったのだ。
だが、モニカの干渉のせいでプレイヤーが不快なシーンを目撃することになっても、きっと乗り越えられるという確証がモニカにはあった、なぜならこれは単なるゲームなのだから。
そしてモニカは、プレイヤーへの愛を告白する。
もちろん返答の選択肢は「Yes」しかない。
プレイヤーはモニカにとって文字通りの「すべて」であり、プレイヤーにとってもモニカがすべてなのだ。
……知らんがな。
1周目の最終日あたりから、俺はすでに本作の真相――これは単なるゲームであり、モニカがそれに干渉していること――にそれなりの確度をもって気付いていたし、それよりずっと前から俺はモニカのことなんか信用していなかった。
端的に言えば、俺はモニカなんか嫌いだった。
ありきたりなヒロインたちにちやほやされるだけのゲームがいかに不自然で空虚なものであったとしても、残念ながら俺にはモニカの言葉は響かなかったし、サヨリやナツキを奪われて悲しかったし、モニカに対する怒りでいっぱいだった。
俺は真顔でゲームを進めた。
ゲームがインストールされたディレクトリの中にはこれ見よがしに「キャラクターのデータを収めたフォルダ」があり、サヨリやナツキやユリのデータを削除することがいかに容易であったか、モニカは興奮気味に語る。
そして今やほとんど壊れてしまったこのゲームの中で、プレイヤーをこの何もない世界に閉じ込め、ついにモニカはプレイヤーと永遠に一緒にいるという夢を実現した。
プレイヤーは新たな詩を書かされるが、かろうじて動く詩作ミニゲームの中で、使用できる単語は Mo i a だの onika だの ñik だの、たまに Monika だの、とにかく「モニカだけ」。
モニカは『Happy End』(ハッピーエンド)と題された、この結末への悦びの詩を披露する。
この詩は……モニカがプレイヤーの気持ちに(勝手に)なって書いたものだと解釈したんだけど、違うのかな。
「無限に連なる選択肢の世界で、この特別な日を見よ」
「結局、良いひと時は必ずしも終わりを迎えない」
そして、邪魔するものなど何もない永遠の時を楽しむように、モニカは様々な話題について語り始める。
ランダムな順番で話すようだが、なかなかネタ切れになることはない。
文学のこと、サブカルのこと、ファッションのこと、うつ病のこと、社会問題のこと、科学技術のこと、自分のこと、部員たちのこと、そしてこのゲームのこと……
モニカには話したいことがたくさんあるのだ。
もはやゲームは進みも戻りもしない。
セーブもロードもできず、何度再起動しても話の続きが始まるだけ。
プレイヤーとモニカだけの世界で、見つめ合い、モニカが持ち合わせる何十もの話題を延々と聞きながら、永遠の時を過ごすだけ。
……プレイヤーが自分の意志で、「手動で」モニカのデータを削除しない限りは。
その方法はいたって簡単だ、モニカが言った通り、ゲームのインストールディレクトリに行き、 "characters" フォルダにある "monika.chr" を削除する――モニカがサヨリたちに対してそうしたように。
話題が続くのなら、俺は可能な限り翻訳したかったのだが、もはや気力とともに我慢の限界だった。
一刻も早くモニカを消し去りたい。
それは弔いであり、復讐であった。
俺は2周目ラストのユリとほとんど同じ目、同じ顔をしながら、意気揚々と "characters" フォルダを開き "monika.chr" を削除した。
爽快だった。
次のゲーム内での1クリックで、ついにモニカが破壊される。
そして唯一残されたゲームの世界(部室)も破壊され、何もない宇宙空間に散らばるノイズ――今は無きタイトル画面のゲームロゴやサヨリの顔の一部。
プレイヤーを信じ切っていたモニカは深く悲しみ、プレイヤーに呪詛の言葉を吐きながら消えてゆく。
……それでも、モニカはプレイヤーを愛していた。
モニカは自らの身勝手な行いがプレイヤーを怒らせ、モニカのデータを消すに至らしめたのだと気付く。
主人公が求めていた世界を台無しにしてしまったこと。
また、「友達」を抹殺するというむごい行いをしたこと――彼女たちは「本物」ではないが、それでもモニカにとっては友達だった。
ようやく気付いたか、いや、だからと言ってお前を許すことはないし、言っていることも信用ならない、遅すぎる。
俺はモニカのことなんか全く見てなかった。
たとえ2周目の状態であっても、ナツキと楽しく過ごせるのをどんなに待ちわびたことか。
それなのにお前は……そんなささやかな俺の希望を、夢を、未来を、ドキドキを、恋心を、ナツキを。
消えよ、モニカ――
モニカは、「友達」を本当に削除するのは忍びなかったため、復元可能な状態にしていたらしい。
そしてモニカはこのゲームを、世界を復元し始める。
本当に「消されてしまった」自分と引き換えに……
4周目〜通常エンド
再びメイン画面に戻ったゲームは驚くほど正常で、起動時の警告メッセージに変な文言が混ざることもなく、サヨリもちゃんといる。
モニカはもういないが、メイン画面のサヨリを見ただけで、どんなに感動したか。
「New Game」を始めると、主人公はちゃんと早起きしてきたサヨリと一緒に登校している。
平和だ……
サヨリにどの部に入部するかを聞かれるが、主人公はその場では答えず、最近サヨリが立ち上げた部活、文芸部をサプライズ訪問する。
文芸部にはナツキとユリもいて、二人とも主人公を好意的に迎えているし、もちろん部長のサヨリは大喜び。
さっそくナツキの手作りカップケーキと、ユリの淹れたお茶で歓迎される。
モニカはいないが、いたって平和な部室。
1周目や2周目と同じように、ユリが好きな文学について語ったり、ナツキのマンガ好きが明かされたり。
部として新しいことに挑戦することになり、ナツキと主人公は読み慣れない小説を、ユリは読み慣れないマンガを読むことになる。
そしてナツキとユリは互いにオススメの作品を紹介するために、一緒に本屋に行くことになる。
何とも平和な世界。
いやー、何すかこの、わくわくする展開は。
俺は今度こそ訪れる幸せな未来に心躍った。
しかし、サヨリと二人きりになった時……
あれ、BGMが消えた?
「私、本当にあなたに感謝したいよ」
「本当は私、あなたが入部するだろうってことを前から知ってたよ、えへへ〜」
い、いや、それは確かに気になってたけど……サプライズのはずなのにカップケーキが用意されてたから、でも……
※※※トゥルーエンドの条件を満たす場合、ここから分岐※※※
「モニカを排除してくれたことも、本当にあなたに感謝したいんだ」
!?!?!?
画面がまたおかしくなったんですけど?
ちょっと待て、まさか……
「でも私は本当に何でも知ってるよ」
お前、モニカかよ!? と思ったけど、そう、モニカが1周目の最終日に同じようなことを言ってたよな。「私は部長だから」って。
「でもそんなことは、もうどうでもいいんだよ。今は私たちだけなんだから」
「ずっと、ずーっと……」
画面を塞ぐように、テキストウィンドウよりも手前に出るサヨリ。
それはまるで、あの時のモニカのように。
っ
と
ず
ー
っ
しかし、ここでアラートメッセージが。
「だめ……」
するとサヨリの立ち絵が、3周目にデータを消された時のモニカのように、バラバラになる。
さては……またモニカ!
そう、プレイヤーをこれ以上苦しめることは許さない、と消えたはずのモニカがアラートメッセージを使って割り込んだのだ。
おそらく、もうモニカに実体はないが、霊体か残留思念のようなものがまだ意志を持っていたのだろう。
そしてモニカがアラートメッセージを使って語るのは、このゲームの本質。
「ごめんなさい……私が間違ってたわ」
「結局、ここに幸せなんてないのね……」
「さようなら、サヨリ」
「さようなら、《主人公》」
「さようなら、文芸部」
そして、サヨリも文芸部も消える……
画面が暗転し、次いで乱れた画面が映し出される。そして乱れた音声……
モニカの声だ!
そう、本作には僅かながらボイスがある。それが、最後の最後であるこの場面。
台詞には英語の字幕すらないのだが、俺の英語のリスニングスキルによると、だいたい以下のようなことを言っている。
※非公式日本語化modを適用すると、日本語の字幕が表示されるようになる。
「聞こえる? 私よ。私がピアノを練習してたの、知ってるでしょ? いや、そんなにうまくはないのよ。あなたに聞いてほしいの。じゃあ……」
※その後原文を読んだけど、だいたい合ってたから大丈夫。学生時代、リスニングは得意だったけど、まだ鈍ってないな。
そう言ってモニカはピアノを弾き始め、さらにそのメロディに乗せて歌い始める。
エンディングテーマ『Your Reality』(あなたの現実世界)だ。
1番のみ歌詞が表示され、そして2番の始まりとともにスタッフロールが流れ始める。
イベントCGのサムネイルが流れるが、その一つ一つに対して削除コマンドが実行され、順にCGが消されていく。
そう、それはこのゲームが自壊していく過程なのだろう。
なお、未開放の(プレイ中に辿り着かなかった)CGは白黒で表示される。
スタッフロールの最後では、ゲームのUIやスクリプトなど、ゲームのコアの部分まで消され、そしてスタッフロールが終わると……
「これが私から文芸部への最後のお別れです。」と題した詩……というより手紙のようなメッセージが表示される。
このゲームの世界は、モニカが(あるいは我々が)理解できるようには設計されていないという、恐ろしい現実を呈し続けていたことに、最後の最後になってモニカはようやく気付いた。
そんな絶望的な気付きを、モニカは他のみんな――友達にまで体験させたくなかったのだ。
だからすべてを消した……
メッセージの後半は、プレイヤーへの感謝の言葉となっている。
「私の夢を全部叶えてくれたこと。部員のみんなと友達になってくれたこと。
そして何より、私の文芸部の一員になってくれてありがとう!」
この画面でクリックすると、以下のアラートメッセージが表示される。
「エラー:スクリプトファイルが見つからないか、破損しています。
ゲームを再度インストールしてください。」
……そう、ここがこのゲームの限界なのだ。
スクリプトが破損したこのゲームは、最後にモニカのプレイヤーへのメッセージを表示した。
そして、もはやこれ以上は一切動作しない。
「OK」を押すとゲームが強制終了するが、その後はいくら再起動しても、モニカからの同じメッセージ(と、エラーメッセージ)を表示するのみとなる。
もうこのゲームは、進みも戻りもしない。
……はぁ?
いやいや、違うだろ。
4周目……まだ初日……
言いたいことはたくさんあるが、この辺りについては後ほど。
トゥルーエンド
本作には「トゥルーエンド」がある。
といっても、結末が本質的に変わるものではない。
トゥルーエンドに辿り着くには、まず1周目の間に、セーブ&ロードを駆使して、サヨリ、ナツキ、ユリの3人のイベントCG(3枚ずつ全9枚)をすべて見ること。
1周目のCGのうち、各キャラ2枚ずつは平日の3日間の間に、残り1枚ずつは休日にある。
- 1周目のCGをコンプリートする方法の一例(クリックで開閉)
- まず新規にゲーム(当然1周目)をスタートして、初日の詩作ミニゲーム開始時にセーブし、そこから二つの詩をサヨリ向けに作る。
※どのヒロインもだが、一つ目のCGを見てからでないと、二つ目のCGを見ることはできない。3日目にサヨリの二つ目のCG(サヨリがクローゼットの前に座り込んでいるシーン)を見たら、先ほどのセーブから再開する。
※サヨリは4日目にイベントを見られないので、3日目までに一度でも見逃したら先ほどのセーブからやり直す。
※CGを見たことは「進行状況」として自動セーブされるため、手動でセーブする必要はない。次に、二つの詩をナツキ向けに作り、4日目までにナツキの二つ目のCG(ナツキがマンガのボックスを抱えているシーン)を見る。
※ナツキとユリは、3日目までに一度ならイベントを見逃しても、4日目に回収できる。そして4日目の選択肢で、週末を共に過ごす相手としてナツキを選び、そのまま5日目(休日)まで進む。
5日目にナツキの三つ目のCG(ナツキの両腕を捕まえるシーン)を見たら、再び先ほどのセーブから再開する。
次に、二つの詩をユリ向けに作り、4日目までにユリの二つ目のCG(ユリの口にチョコレートを押し込むシーン)を見る。
そして4日目の選択肢で、週末を共に過ごす相手としてユリを選び、そのまま5日目まで進む。
5日目にユリの三つ目のCG(ユリをタオルで拭うシーン)を見たら、さらに進んでサヨリと会い、サヨリに告白をする。
これで1周目の最後のCGである、サヨリの三つ目のCG(サヨリと抱き合うシーン)を見られ、1周目のCGの回収は完了。
ここまでを確実にこなしたら、あとはそのままゲームを進め、サヨリの自殺を見届け、2周目へ。
※CGを見るヒロインの順番は、実際にはどの順でもいい。あくまで一例ということで。
次に、そのままゲームを3周目まで進め、モニカのCG(モニカと見つめ合うシーン)を見る。
モニカのCGは3周目に入ってすぐに見られるが、それ以前の僅かの間にモニカのキャラデータを消してしまうと、CGを回収する前に話が進んでしまい、NGとなる。
モニカのCGを見たら、 "monika.chr" を削除し、あとは4周目のエンディングの手前(上に※※※緑字※※※で示した地点)まで普通にゲームを進めるだけ。
以下、トゥルーエンド分岐後の感想を書いていく。
さて、どんな変化があるのかな、と。
サヨリは、主人公ではなくプレイヤーへの感謝を口にする。
部員の全員と、一緒に時間を過ごしてくれたこと。
セーブとロードを何度も繰り返し、イベントCGを何一つ見逃さないように頑張ってくれたこと。
そして、みんながより仲良くなるようにしてくれたこと。
しかし、残念ながらこのゲームは終点に到達してしまった。
どうしても、その結末は変えられないのだ。
サヨリは悲しそうに微笑む。
「これでお別れだね」
「『Doki Doki Literature Club!』を遊んでくれてありがとう」
「またいつか遊びに来てね?」
「みんな、ずっとここにいるから」
「私たちはみんな、あなたのことが大好きだよ」
……泣けるわ。
そして暗転。サヨリが豹変することも、モニカが出てくることもなかった。
……もちろん、エンディングはモニカの担当だが。
エンディングは通常エンドと基本的に同じだが、CGをコンプリートしているので、スタッフロールに流れるCGのサムネイルもすべてカラー版が揃っている。
また、エンディング中にデータを削除するコマンドが実行されることはない。
そして、最後のメッセージ。
ここは、通常エンドとは異なり、モニカではなく本作の開発者であるDan Salvato氏の手描き(?)メッセージとなる。
その内容は、氏のゲームに対する想いラブレター。
従来の媒体とは異なる双方向メディアである、ビジュアルノベルをはじめとするゲームの可能性。
そして、しかしながらありきたりなものも多いゲームの現状に異議を唱え、新たなことを試みること。
※ゲームの好みは人それぞれであり、その多様性がゲーム産業を発展させるとしており、ありきたりなゲームを否定するという意味ではない。
そうした想いから『Doki Doki Literature Club!』は生まれたということ。
本作は外見ではありきたりなギャルゲーでありながら、内実はそれに対するアンチテーゼである。
キラキラしたギャルゲーのヒロインたちが「ひょっとしたら」抱えているかもしれない葛藤、それを無視したご都合主義、それでも、それが単なるゲームであるという虚しさを、日本発の文化であるギャルゲーをアメリカという外部から見つめた時の、氏曰く「愛憎入り混じった感情」を表現したのがDDLCというゲームだ、と俺は思った。
※氏のギャルゲーを含む日本のゲームに対する造詣は深いが、それでもなお、だ。
メッセージの最後の一文は、モニカのものとほぼ同じとなっている。
「私の文芸部の一員になってくれてありがとう!」
そしてクリックすると……
「エラー:スクリプトファイルが見つからないか、破損しています。
ゲームを再度インストールしてください。」
……あれっ?
やっぱり、スクリプトは壊れていたようだ。通常エンドと同じく、このゲームはもう進みも戻りもしない。
そ、そんな……
サヨリ、「みんな、ずっとここにいるから」って言ってたのに。
ゲームのデータを削除するコマンドは実行されなかったのに。
あれは単なる演出だけど。実はデータは何も消えてない。ただ、進行度としてそう管理されているだけ。
ある意味、モニカの言う通りだったな。
「結局、ここに幸せなんてない」
恨み節
1周目。俺は実際には多少のネタバレを踏んでいたが、それを除くとピュアな気持ちで本作をプレイしていた。
サヨリに告白するかどうかを選ぶ時、どんなに悩んだことか。
それでも、翌日に控えた文化祭をサヨリやナツキと楽しく過ごすことだけを考えて、いや、最悪ナツキはどうでもよくて、サヨリさえ楽しめればと思って、もしかしたら翌日以降は修羅場かもしれないが、それを顧みず俺はサヨリに告白することを選んだ。
しかし、俺の「その場しのぎ」は実際には1日すら持たなかった。
サヨリの自殺という最悪の結末を迎え、俺は後悔に打ちひしがれたが、本作においてそんなことは些細なことで、そもそもどんな選択をしてもサヨリは結局そうなったのだ。
あぁ、ナツキとイカフライ(非公式日本語化modでは“焼きイカ”になっている)を食べる俺の未来は……
そして俺は固く誓った。俺はもう何も怖くない。顧みない。ナツキだけを考える。誰かを傷付けようとも、たとえナツキが最後にはどうなろうとも、俺は自分に嘘だけは吐かないことを固く固く誓ったのだ。
Just Natsuki.
俺は今度こそ、何があってもナツキを選び続けると、鉄の意志で固く誓ったのだ。何があっても、たとえ誰かが死ぬことになろうとも。
— LABE (@la_to_beam) 2018年1月24日
そして2周目。
俺の目論見は早くも2日目には頓挫する。
ナツキイベントでは新たなCGを見られ、テンションが最高潮に達したのも束の間。
ナツキとユリの口喧嘩の仲裁では、謎のバリアにより、結局どちらも選べなかった。
そして3日目からは、ナツキと一緒に過ごすことすらできなくなった。
ナツキに向けた詩を書いても、ナツキはそれを気に入ってくれない、それどころか「PLAY WITH ME!!!」からの偽END、ホラーというより精神攻撃だ。
この辺りから、俺は本作に対して半ば「諦め」の気持ちを持っていたのだが、何かあればまた期待してしまう、良く言えば純粋にこのギャルゲーを楽しもうとしている人間なもので。
俺自身は、ビジュアルノベルもそうだが、特に恋愛アドベンチャーゲームというものをこれまでほとんどプレイしてこなかった人間であることも影響しているかもしれないが。
結局、2周目でもナツキと結ばれることはなかった、それどころか、ナツキの好感度が高いとナツキが部活に対して非協力的になり、不機嫌になるというトラップまである始末。
しまいにはナツキは生きたままモニカにデータを消され、3周目。
※ナツキの最期は正確にはわからない。ただ、ナツキに限って自殺などしそうにないし、あの後どこかで生きたまま消滅したのだと思っている。
3周目は俺にとってどうでもよかった。That was just Monika.
But what was that? It seemed too long and I was tired of translating, I just wanna meet Sayori and make lovey-dovey with Natsuki. pic.twitter.com/zM8bwAT496
— LABE (@la_to_beam) 2018年2月28日
※Twitterではたまに英語脳を発症するけど気にしないで。
4周目。
俺はモニカをこの手で消すことができて、ちょっとテンションが上がっていたのだが、それにしても4周目のわくわく感は何だろう。
これまでの反動だろうか、モニカを消し去った解放感だろうか、とにかく俺はこれまでになく胸を躍らせたのだ。
それが、何だ。
DDLCの4周目を昨日始めて、もう終わった。翻訳しながらのプレイもだいぶ速くなっただろう? ……んな訳あるか死ね。
— LABE (@la_to_beam) 2018年3月1日
すごくわくわくするような、明るくて楽しいお話……になるはずだったのに。本屋に行って、なっちゃんと一緒に小説を読んで、ユリとマンガを読んで、サヨリと登下校して、お菓子を作って、学祭でイカフライを食べて……そのはずだったのに。それだけだったのに。
— LABE (@la_to_beam) 2018年3月1日
どう考えても、1周目より4周目のほうが楽しいお話になるはずだった。何の障害もなかった。みんなフレンドリーだった。サヨリは早起きしてた。ナツキとユリは仲良くしてた。なのに。あいつは。あいつだけは。結局最後まで自分勝手。何が幸せだ。何が現実だ。何が友達だ。何がありがとうだ。何が愛だ。
— LABE (@la_to_beam) 2018年3月1日
4周目が惜しすぎるので、誰か続きを追加するmodでも作ってください。俺はユリのキャラの詳細を知らないので書けない。1周目・2周目の続きなら、ナツキだけなら書ける。
— LABE (@la_to_beam) 2018年3月1日
あまりにもこの結末にがっかりして、Twitterでグダグダ言いまくったので、あらためてブログに書くこともない、と思って引用。
勘違いしないでほしいが、俺はこの結末を見て純粋に気分が落ち込んだと言ったのであって、決してこれが良くない結末だったとか、だから本作は駄作であるとか言いたいわけではない。
落ち込むというのも開発者が意図した感想かもしれないし、それも感動の一種だ。
でも本当に……本作には救いがなかったというわけだ。
例えば通常エンドについて言うと、モニカがサヨリを止めなければどうなっていたのだろう。
サヨリは主人公、というよりプレイヤーに危害を加えるつもりだったのだろうか。
そもそもすべての真実を知ったからといって、サヨリがモニカのように暴力的な手段を取るとは限らないはずだった。
実際にサヨリはナツキやユリのデータを消してはいないが、しかし何か「閉鎖空間」のような場所にプレイヤーを連れ込んだようだ。
あのままだと、プレイヤーはどうなっていたのか。
しかし、それを確かめる間もなく、モニカが介入し、すべてを消してしまった。
よって俺の中では、最後の最後までモニカは自分勝手で、余計なことをしたと、そういう受け取り方しかできないのだ。
そうでなければ、もしかしたら、サヨリたち3人との幸せな部活ライフが待っていたのかもしれないのに。
それが、「ごく普通の」ギャルゲーにすぎないとしても。
ナツキと一緒に読み慣れない小説をウンウン唸りながら読んだり、ユリがナツキの勧めたマンガをばつが悪そうに読んでるのを見てニヤニヤしたり。
そしてサヨリと一緒に毎日登下校して、ナツキが作ったでかいクッキーを食べて、ユリの淹れてくれた烏龍茶を飲んで。
……なんて考えると、そうならなかったのがあまりにも残念で、文句の一つも言いたくなる。
その文句はすべてモニカに対するものだ。
もしかしたら、彼女は敵役、もしくは嫌われ役なのかもしれない、少なくとも俺にとってはそうだ。
「普通のビジュアルノベル」なDDLCがあれば、俺は皿にまでかじり付くだろう。
ファンModのような二次創作にはそういうのがたくさんあるだろうが、そういう問題ではないんだよな。
かといって、それは開発者が作りたいゲームではないはずだし、彼自身もDDLCに関する別の作品を作る予定はないと言っている。
この気持ちはいったい何が癒すんだ!
……これが俺の、本作への愛情にあふれた恨み節。
キャラについて
キャラについて考えたことなんかもこの記事に書こうと思ったんだけど、あまりにも長くなりすぎたので、別の記事にすることにした。
いや、それでも十分に長いけどな、この記事……
しかも分割先もなかなかに長かったり。
でもな……この記事自体も、本来は2周目の感想記事(超長文)と一緒にしようとしてたんだぜ。
どんだけ書くつもりだよってね。
2018/04/21追記:記事公開につきリンク追加。
俺の翻訳について
これまでの記事でも言い続けてきたが、俺は本作を独自に翻訳しながらプレイしていた。
というのも、俺が本作をプレイし始めた頃は、日本語化Modはおろか日本語情報すらほとんどなかったのだから、必要に迫られてのことでもあった。
それでクリアして翻訳が完成したら、その翻訳を公開しようかなどと考えてもいたのだが、いろいろあってクリアしたのがこんなに遅くなってしまい、俺の翻訳を世に送り出す意味も今やほとんどなくなってしまった。
もちろん俺の翻訳は非公式日本語翻訳Modとは異なるのだが、基本的にあちらの方が正しいし。
とはいえせっかくなので、何らかの意義を持たせて公開しようかと考えている。
例えば、せっかく原語でプレイして翻訳では伝えきれないニュアンスやギャグなどを把握しているのだから、それの解説でもしてみたり。
もしくは本作の翻訳を通して身に付けた英語のスキルを活かして、「DDLCで学ぶ英語講座」でも作ってみたり。
こだわりぬいた翻訳で、詩を訳してみたり。
うーん、需要があったらやる。でも需要がなくてもやるのが俺だったり。
……これだけじゃアレだから、ちょっと俺の成果の一部を見てくれ。
ナツキの三つ目の詩『I'll Be Your Beach』の、俺の渾身の翻訳だ。
この詩はナツキを上手に攻略していると別の詩に置き換えられてしまうので、俺は初回プレイではこの詩を読むことができなかったが、本作で最も好きな詩であり、特別な想いで翻訳を行なった。
とはいえ間違ってるかもしれないけど。えへへ。
私があなたの砂浜になる
あなたの心は悩みや恐怖でいっぱいで
年を追うごとに驚くことも減ってきた
でも今日は私たちにとって特別な場所
砂浜に一緒に行こう。視界の果てまで広がる海岸
キラキラとした輝きを放つ海
あなたの心の壁も溶け去っていく
明るい日差しの前で。私があなたの心配事を洗い流す砂浜になる
あなたが日ごとに夢に描く砂浜になる
あなたがずっと昔に置いてきたと思ってた気持ちで
あなたの心を弾ませる砂浜になる。重い気持ちは砂の山に埋めてしまおう
日の光を浴びて手を繋ごう
不安な気持ちはしょっぱい海水で洗ってしまおう
そして輝くあなたを私に見せて。思い出は連なる足跡に残していこう
風を孕んだ私の帆に掴まって自由になろう
そしてあなたが素敵な人だってわけを思い出して
あなたと私の唇を重ねたら。私があなたの心配事を洗い流す砂浜になる
あなたが日ごとに夢に描く砂浜になる
あなたがずっと昔に置いてきたと思ってた気持ちで
あなたの心を弾ませる砂浜になる。でも私をあなたのそばにいさせてくれたら
今度はあなたの砂浜、あなたの逃げ場で
あなたはもう一度自分を愛せるようになるはずだから。
原文と見比べたいところだけど、丸ごと書くと引用に当たらないから、ゲーム内で各自チェケラ。
いろんなものについて
イラストを描いた
まずはちょっと宣伝。
前々回の記事で発表したんだけど、DDLCのファンアートを描いた。
Pixivにも投稿したが、俺のこれまでのイラスト(少ないが)の中で最多の「いいね」とブクマを貰って、本当にありがたい限り……
【pixivに投稿しました】
Will you bake the way into my... https://t.co/LAuqkNK3US #pixiv #DokiDokiLiteratureClub #DDLC #Natsuki— LABE (@la_to_beam) 2018年2月20日
詩を書いた
ナツキが好きすぎて、彼女の詩をもとにした詩を書こうと思っていた。
それで彼女の一つ目の詩である『Eagles Can Fly』をポジティブにアレンジし、『People Can Fly』と題して発表したところ、なかなかの評価を得たので、ここでも紹介してみる。
I love Natsuki too much enough to write this poem called "People Can Fly". This is derived from her poem called "Eagles Can Fly". Though I may be a poor English writer. #DokiDokiLiteratureClub #DDLC pic.twitter.com/HqoXaeJGn4
— LABE (@la_to_beam) 2018年3月10日
※ツイートをクリックすると画像版を読める(はず)。
People Can Fly
Monkeys can climb
And that's about it.
But I can climb over a difficulty
When you cheer me up.Crickets can leap
And that's about it.
But I can leap onto an upper step
When you gime me your hand.Horses can race
And that's about it.
But I can race with myself of the past
When you show me my progress.Owls can seek
And that's about it.
But I can seek an important truth
When you teach me what to see.Cheetahs can run
And that's about it.
But I can run a long way
When you are in my mind.Eagles can fly
And that's about it.
But I can fly toward the future
When you are by my side.People can try
BUT that's NOT about it.
I can complete
When I think of your sweetness.
原文をほぼすべて使いながら、ひたすら甘い想いを綴った詩にしてみた。
所々、文法や用法が間違ってる部分があって、書き直したりしてみたんだけど、どうにもしっくりこなかったので、上には結局初版を載せた。ミスも愛嬌。
訳も載せろって? 自分が英語で書いたものを自分で翻訳するのは恥ずかしいよ!
ナツキの他の詩もアレンジしてみたいなぁ。
あの黒い文章の作り方
本作の2周目に時々現れる、輪郭が黒く塗り潰されたようなあの文章。
あれってどうやって表示されているんだろう……
文字部分と塗りつぶし部分で色が別個に指定されているから、ああいうフォントというわけではない。
"o" の中が塗り潰されてないから、袋文字でもない。
で、ピリオドや "i" の点の周りが円形に描画されていることから、これはCSSで表現できるアレなのでは、と推測して、コードを書いてみた。
ちょっと見てくれ、俺の努力の跡を。
「CodePen」は、HTMLやCSSのテストとシェアに便利なサイト。
どうよ、それっぽくなってるだろ?
フォント(文字の形)は俺がフリーフォントの中から見た目の似たものを探し回って見つけた「Verily Serif Mono」を使ったが、ゲームで使われているのはまさにこれらしい。
で、俺の方法ではCSSの text-shadow
を使い、文字から一定距離に対して360度、少しずつ角度をずらして128個の影を描画し、それらがすべて重なってあのような見え方になっている。
たぶん本作でも同じような仕組みでテキストの「影」を描画しているのだと思われる。
ただ、俺もいろいろと調整してみたのだが、残念ながらゲーム内の見た目と同じにはならなかった。
というか、ゲーム内のこの文字は大きさのわりに細いのだが、ゲームエンジンの仕様だろうか。
CSSコードの著作権は(フォント部分を除いて)放棄するので、あのCSSをコピペして、今日からキミのサイトも Just Monika だ!
※フォント部分については、俺の書いたCSSのようにクレジットを明記することで二次利用の条件を満たすものと考えている。
フォントのデータをBase64エンコードしてCSSに埋め込んでるから、4万字を余裕で越えちゃったけどね。
総括
本作全体の感想を。
俺は他の多くのプレイヤーとは異なる感想を持っているのだろうか?
世界的にはモニカは大人気で、ナツキはそうでもないと聞くが、単なるキャラの好みの話ではない。
モニカに同情する人が多かったということなのだろう。
俺は残念ながらそうではなかった。
もし俺がネイティブの英語話者で、エンディングのスタッフロールを見ながらテーマソングの歌詞を聞き取れていたなら、その切ない歌詞に胸を打たれ、モニカに対する印象が変わっていたのだろうか。
だとすれば、歌詞など聞いただけではちんぷんかんぷんだった俺は非常にもったいない。
それとも、早くからナツキの恋敵であるモニカを目の敵にしていた俺の偏見だったのだろうか。
いずれにしろ、俺にとって本作の一番の感想は、「モニカかわいそう」とか「ギャルゲーって虚しい」とかではなく、「モニカ許すまじ」なのが正直なところだ。
これは頓珍漢な感想だろうか。
俺は心が狭いのだろうか。
ナツキとイチャラブするゲームなんかじゃないのに。
しかし、上でさんざん言っているように、俺は本作の本質を読み解くことができなかったわけではない。
それを理解した上で、感想としてはそういうものが出てくる。
まぁ感想など人それぞれ、と言えばそれまでだが。
誰に何を言われたって、仮に開発者から名指しで「お前は間違っている」と言われたとしても、俺が感じたことは変えられない。
ただ、開発者が言っていたのだが、モニカがこれほど人気者になるのは彼にとって予想外だったらしい。
俺がそう感じたように、開発者はモニカを嫌われ役としてデザインしたのだろうか。
それは結局のところわからない。
* * *
ビジュアルノベルは日本発祥の文化であり、近年では英訳のうえSteamなどで国際的に展開している作品が増えているが、依然として人気の中心は中国をはじめとするアジア圏であり、欧米のゲーマーにとってはなじみのないジャンルであるらしい。
本作はそんな欧米のユーザーを中心に人気を博した。
元々英語専用のタイトルであるのも要因の一つと考えられるが、やはり最大の要因は、あちらの人たちにとってわかりやすい、いかにもありきたりなギャルゲーを装っていたのに釣られたということだろう。俺もその口だが。
ならば、もしかしたら欧米のユーザー、特にギャルゲーやビジュアルノベルになじみのないユーザーと、俺たち日本のユーザーとでは、感じ方が異なる面もあるのかもしれない。
俺が日本のユーザーの中では一般的な感想を抱いた、としたらの話だが……
* * *
本作のメタフィクションな手法は確かに特徴的だが、多くの人がすでに論じているように、日本のビジュアルノベル界においてはすでに数多くの作品で用いられている手法であって、ある意味でビジュアルノベルの一つの歴史でもある。
開発者は本作を生み出すのにあたって、ビジュアルノベルを含め、いくつかの日本のゲームの影響を受けたと語っている。
本作は決してそれらの模倣ではなく、連綿と続いてきたビジュアルノベルの歴史にその名を刻まれる怪作となるだろう。
ところが海外では逆に本作が、いかにも日本的でありきたりなギャルゲーばかりを生み出す日本のゲームメーカーには真似のできない、画期的で独創的な作品であるとする評価も存在するという。
もしそう思われているなら悲しい話だが、あちらはあちらで誤解することもあるのなら、俺だってモニカの「良さ」に気付かなくたっていいじゃないか。
俺たちは「文芸部の部長」じゃないんだから、何でも知っているというわけにはいかないのだ。
* * *
ともかく、俺はモニカなんか大嫌いだ。
ナツキ、愛してる。
それはともかくとして、本作は本当に素晴らしく、そして考えさせられる作品であった。
1周目の「ギャルゲー」だけでも十分に素晴らしい。
ギャルゲーとしては非常に短いにもかかわらず、これほどまでにのめり込んでしまうとは。
開発者は本作の「詩」が、短いストーリーの中でも想いを効果的に伝え、ヒロインたちに魅力を持たせるのに役立っていると述べたが、まさにその通り。
また、彼の幼少期の友人をモデルにしたというサヨリというキャラや、そのエピソードも、単なる虚構ではない現実感というか、心を惹きつけるのに大いに役立っている。
そして、攻略対象となるヒロインごとのルート間の関係。
一般的なギャルゲーでは、誰かを選ぶと他のヒロインはあまり描かれなくなり、選んだヒロインに気持ちを集中できるものだ。
仮に他のヒロインを見捨てたとしても、最終的にはそのヒロインとも理解しあい、主人公の本命の恋を応援してくれたりして、少なくとも敵や足枷としていつまでも引きずるというパターンは少ない。
もちろんそういう作品もあるが。
しかし本作では、たとえばナツキとの仲を深めていくことがサヨリを苦しめるという様子を描き続け、プレイヤーにサヨリのことを忘れさせず、思いやるのを強いる。
そしてルートに関わらず、休日にはナツキかユリといい雰囲気になったうえで、鬱で不安定となったサヨリに告白するかどうかを選択させるという、あまりに非情な試練を課す。
また、ナツキとユリの口論や、週末を共に過ごす部員の選択では、一方を選んだ瞬間にもう一方を落胆させるのが確定している状況で、選択を強いられるのだ。
ずるい、ともいえる。そんな演出、ずるい。
以上が、本作が1周目だけでも素晴らしいといえる理由だ。
2周目では、本作からギャルゲーがフェードアウトしていき、純然たるホラーゲームへと変貌を遂げる。
バグ演出や不意打ち、不気味なBGMなどのホラーゲームとしての演出の数々。
元々ゲームのハックROMの開発者として知られていた氏による、ゲームエンジンの機能を十二分に活用した演出には舌を巻く。
ビジュアルノベルは技術的にはローテクなゲームであるが、アイデアと工夫次第では新たな体験を提供できるという事実、ビジュアルノベルのポテンシャルを改めて示した。
3周目以降は、ほぼ「おまけ」だろう。
3周目は種明かしであり、また本作がプレイヤーに直接関与するゲームであるところの仕上げとして、プレイヤーをゲームに閉じ込める演出のためにある。
また、ゲームのファイルを手動で削除するという、本作のメタ手法に加担する方法を取らせてゲームを進行させ、演出を強化している。
4周目は、本当にただのオチというか、モニカを消して解決したと見せかけてすべてをひっくり返すという、本作最後の演出を1周かけて行なっている。
そして最後に、ゲームが完全に進行不可能になるという、ユニークな演出が待っている。
※この演出も、本作に限ったものではない。実例はタイトルを忘れてしまったが。
本作は周回の変わり目を含むいくつかのポイントで後戻りできなくなるが、それも演出の一部だ。
思いがけない結末に至り、他のゲームのようにやり直そうとセーブデータをロードする、しかしロードできない、場合によってはセーブデータ自体を消される。
1周目のラストシーンに、以下の1文がある。
This isn't some game where I can reset and try something different.
これはゲームではないから、リセットしてやり直すことはできない、という聞き覚えのある文言にも見えるが、俺はこう訳している。
「これはリセットしてやり直せるようなゲームではない」
この訳し方だと、一見すると上のような一般的な読み方に思えるが、「〜なゲームではない」と本作のメタフィクション性も1周目にして示唆できるので、この訳はけっこう気に入っている。
なにしろ、これはゲームなのだから。
まさに本作はその体験すべてを含めたゲームであると考える所以だ。
そして俺はそのすべてを存分に味わうことができたと思う。
本当に、プレイしてよかった。
終わりに
俺が『Doki Doki Literature Club!』を知り、プレイし始めてからおよそ半年になる。
その出会いは偶然だった。
そして俺もまた、本作を普通のギャルゲーだと信じて安易にダウンロードした奴の一人だった。
ただ、英語しかないゲームをプレイするという大いなる挑戦であったのは別だが。
その結果、半年たった今でも本作のことが頭から離れない。いや、なかなかクリアしなかったからじゃなくて。
これまで、長ーい記事をいくつも書いてきたが、まだまだ俺の本作への想いを伝えきれていない。
記事だけじゃなくて、いろんなものを作ろうかと企んでいる。
俺はこれからも、文芸部の一員だ。
モニカが嫌われ役ってのは、少し違うと思います。
むしろ、「部長が自我を持ってしまうゲームのシステム」にヘイトが集まるようにデザインされていると思います。
モニカの境遇は、
・自分がいる世界はゲームであるとしっているが、決して現実へは行けないことも分かっている。
・他のキャラはスクリプトの集合体にすぎず、自我すらない「生きてない」ことを知っている。
・自分は非攻略キャラなため、憧れの「人間」であるプレイヤーと親交を深めることもできないことも知っている。
こんな状況下で「ゲームを改造できる能力」を発見したら、普通の人間だったらそれを利用せずにはいられないはずです。何もせず見ているだけなんてできるわけが無いんですよね。
コメントありがとう。
そのゲームシステムを見て、モニカを恨むか、システムのほうを恨むか、その違いだと思うよ。
俺は分かりやすくモニカを恨んだけど。
Salvato氏はモニカがこんなに人気が出るとは思ってなかったと、AMAだかどこだかで発言してた覚えがあるんだけど、それが嫌われ役という意味なのかどうかは分からない。
少なくとも、そうヘイトを集めかねない役回りになっているということだよ。
ナツキが偽エンディングしか用意されないかわいそうな役回りであるように。
でも実際には、モニカは逆に同情を集めたのか、それとも海外のプレイヤーの感覚は日本のプレイヤーとは少し違ったのか(モニカの人気は海外のほうが高いらしい)、あるいは「Just Monika.」というミーム化したネタに乗っかってるだけなのか、いずれにせよ氏にとっては意外だったんじゃないかな。
(氏は日本のビジュアルノベルに親しんでいるので、どちらかと言えば俺たちに近い感覚の持ち主だと思う)
あなたはモニカ好きかな? 俺は本作の感想として「モニカ嫌い!」ってだけで、キャラはみんな大好きだよ。
「普通の人間」については何とも言えないね。モニカもゲームの一部だし。
こんにちは。
4周目通常エンドのサヨリについて、モニカの残留思念のようなものがサヨリを乗っ取ったという風に解釈されていましたが、他の考察等を見ると、サヨリが“部長”という権限を手に入れて真相を知った結果モニカと同じように狂ってしまったという考察もあるようです。
この場合、3周目の最後でモニカは本当に改心していたことになります。彼女は自分が削除されれば物語は正常に戻ると考え、プレイヤーによるモニカの削除を受け入れました。
しかし結果として、4周目から部長に就任しモニカと同じ権限を得たサヨリも狂ってしまいます。そこでゲームデータ内に残ったモニカの残滓は諸悪の根源は「モニカ」や「サヨリ」といったゲーム内のキャラクターではなく、「部長」という役職あるいは「文芸部」、「ゲームシステムそのもの」であると気付き、負の連鎖を断ち切るためにゲーム世界全てを消し去るという行動に出たのではないでしょうか。
この解釈なら(少なくともキャラクターに悪側はいないので)多少希望を含んだ終わり方ですし、年内にも出ると噂の続編でもBAD以外のルートもあり得るので、個人的にはこの解釈の方が夢があるかなと思いました。
長文乱文考察の押し付け失礼しました。
続編の方の感想も楽しみにしております。
いいえ、特別好きという訳じゃないです。
ただ、同情は多分にできます。
「プレイヤーの心を揺り動かす様にデザインされたハリボテ」に囲まれた閉鎖空間にただひとり自我を持ってしまう。しかも、外部との唯一の接点である主人公にも近づけないっていう状況で、何もせずただ見ているだけという役割に、果たして甘んじていられるか…ということです。
あと、サヨリについてですが、最後の行動や一周目でモニカを消した時の行動を見る限り、誰が「部長」になったとしてもロクな結末にならないことが示唆されてますよね。
すみません。続きです。
この「部長」が自我を持ってしまうシステムは、一体なんなんでしょうね。
そしてサヨリなんですが、「三人で仲良く過ごす」というのは、モニカの介入がなくても可能性は限りなく低いでしょうね。
一周目でモニカを消された彼女は、おそらく繰り上げで部長になり、自我を持ってまもなく、混乱したように全キャラクターを消し、さらに自殺してしまいます。
そして4周目でも、モニカが表面上だけでもゲームとしての体裁を保とうとしたのに対し、サヨリはいきなりゲームを破壊しようとしました。
4周目の彼女が朝早起きできたことから、もしかしたらサヨリはゲームから与えられた設定では「鬱を患っているが、他者を思いやるいい子」でも、ゲームの設定から解放された状態では「他者を省みないエゴイスト」なのかもしれません
わははさん、コメントありがとう。
え、「モニカがサヨリを乗っ取った」なんて書いてないよね?
「モニカがゲームに割り込んでサヨリを止めた」とは書いたけど。
で、俺の解釈は、まさにあなたのコメントにある解釈と全く同じなんだけど、俺の書き方が良くなかっただろうか……
Team Salvatoの新作はDDLCの続編的なものじゃなくて、DDLCとは関係ない、「もっと普通なビジュアルノベル」だとSalvato氏は言ってたよ。
本作のイースターエッグに含まれる次回作の示唆(だと考えられているもの)を考察勢がいろいろ考察してるね。
ただ、彼はすでに本作でやらかしてるから、「もっと普通なビジュアルノベル」なんて真に受けないほうがいいのかもしれないけど……
いやいや、こちらこそ、こんな長い文章を読んでくれてありがとうね!
次回作もできれば英語で――今回よりは時間をかけずに――プレイしたいね。
映画好きさん、再度のコメントありがとう。
>甘んじていられるか
俺だったら……なんて言っても仕方ないけど、俺はピュアだから、4周目に至ってもまだナツキとの(サヨリというよりナツキとの)幸せな未来を夢見てたんだ。
だって、まだナツキエンドを見せてもらってないんだからな!
まぁ、俺はナツキを奪われた怒りに偏った考えの持ち主だから、モニカを理解はできても同情はできないんだよね。Just Natsuki.
>4周目の彼女が朝早起きできた
うわ……マジだ、そこは深く考えなかった……
気付かなかった、それは重要な事実だ、4周目のサヨリに対する考え方が変わったよ……教えてくれてありがとう。
でも、4周目で部長になったからと言って、キャラの本質的な部分が変わるとは思わないんだよね、プログラムだから。
つまり、サヨリとは最初からそういう人物だったのかもしれない。
ああ、これで記事が書けそう……(振った後のサヨリ風に)
でも、1周目の隠しENDのサヨリと、4周目の通常ENDのサヨリの行動って違うよね。
4周目では、それ以前のモニカの行動によって変な知識が付いたから、主人公を自分のものにできるって考えたのかな。
ずっと主人公のこと好きだったんだろうし。
>「部長」が自我を持ってしまうシステム
本当にこれには理屈も何もないよね。
Salvato氏が「もしギャルゲのサブの女キャラがゲームのプログラムを操ったら……」というテーマでゲームを作った、で片付けるほかないと思う。
返信ありがとうございます
サヨリの行動は、なんというか、一貫性が無いんですよね。
だから怖いんですけど。
トゥルーエンドの彼女の反応も、ただ自分の思い通りになったから過激な行動を取らなかったともとれますし。
なんにせよ不安定なキャラクターであることはまちがいないんですよね。
少なくともモニカよりも過激で危険な側面がありますね。
それと、モニカの冷酷に見える行動なんですが、これは「ヤンデレ」だからってより、視点の違いだと思います。
プレイヤーはまず、これはゲームであり、キャラクターもスクリプトの集合体でしか無いことを理解しています。しかし、プレイヤーは娯楽のために遊んでいるため、プレイ中はそんなことを意識しないし、キャラクターに感情移入したり特定のキャラを気に入ったりするわけです。
一方でモニカにとってゲームは自分を閉じ込める閉鎖空間で、キャラクターはスクリプトの集合体であるハリボテということをゲームの「部長」が自我を持ってしまうというシステムによって「常に意識させられている」ので、あそこまで躊躇なく他のキャラを消せるんでしょうね。
長文の続投すみません
この世界の住人を苦しめる要素は
・「部長」が自我を持ってしまうシステム
・「部長」にゲームを弄る権限が与えられてしまうシステム
・「ヒロイン」に主人公への恋を強いるシステム
・「ヒロイン」は自我を持てないシステム
この4つだと思うんです
本当に幸せなんか無いんですよ。
だから、仮にあなたのお気に入りのナツキに主人公と結ばれるハッピーエンドがあったとしても、 部長でないナツキに自我はなく、幸せを感じることもないんですね。
で、ナツキが部長になっても、今まで友達として接していた部員が、実はただのハリボテで、自分が住んでいる世界もただのゲームに過ぎず、現実世界にどれだけ憧れても、決して行けないという現実を「ゲームのシステムにより強制的に知ってしまう」んですよね。
ホントにヒドイ!(褒め言葉)
コメントありがとう。
>サヨリ
サヨリこそ実は本作のラスボスなのかもしれない……
というくらいには怖さがあるね。
ところで、別の記事に書いたんだけど、4周目でナツキとユリがやけに仲良さそうだったことについて、「二人が仲良くなるようにサヨリがプログラムを書き換えた」っていう説を思いついたんだけど、あなたはどう思う?
(自分で思いついたんだけど、俺自身はあまりそうだとは思っていない)
よかったら教えてほしい。
>モニカ
『Save Me』とかがそれだね、プレイヤーがゲームを終了するたびにモニカの身に起こることっていう。
とはいえ、俺は1周目はナツキルートに邁進してて、3日目にはモニカより先にナツキに詩を見せたから、モニカのこの詩を読めなかったんだよね。
アプデでそのルートでも読めるようになったらしいけど。
>ナツキ
あーあー、わかってるよ! ナツキENDは俺の妄想だから、ほっといてくれ!
……冗談はさておき、ナツキと結ばれることがナツキにとってハッピーなのかどうかって、本作に限らず、ギャルゲ共通の哲学的な問いだよね。
俺はそれが、Salvato氏が描きたかった「日本のギャルゲに対するアンチテーゼ」の一つだと思ってる。
自我もないプログラムでしかないキャラに幸せなんかなくて、ただプレイヤーを喜ばせるという「目的」だけがあるのだとしたら、そんなに空虚なことはない。
ギャルゲのプレイヤーにとっては最も都合の悪い、目を背けたい事実だよね……あーやだやだ。
ナツキが部長? ありえない! 俺とナツキの幸せは1周目の延長にあるのだ!
ゲームが俺にエンディングを書いてくれないなら、俺は自分でModを作るぞ!
ナツキは本作で最も「何も描かれなかったキャラ」だから、妄想の余地はたくさんあると思うんだ、それだけがナツキ厨の希望なんだ……
返信ありがとうございます
4周目のナツキとユリなんですが、サヨリはすぐゲームを壊そうとしたんで、わざわざモニカを真似るメリットはないと思います。
あれが平常運転なのでは無いでしょうか。
あの、モニカがプレイヤーに助けを求める場面は、「moon」を思い出させてくれました。
ヨシダという関西弁で喋る鳥なんですが、プレイヤー自身に向かって助けを求めるんです。
あのゲームもバッドエンドしかなくて、登場キャラクター達を救うにはプレステの電源を切るしか無いんですよね。
ナツキはたしかに始終扱いがぞんざいですね。ゲロ吐いて退場って…………。次回作に登場したりするといいですね。
続投すみません
モニカは、良くも悪くも普通なんですよね。これは、「サポートキャラクター」故に、大して背景が設定されてないからかもしれません。
恐らく、元々は「様々な問題(鬱病・特殊性癖・家庭内暴力)」を抱えたヒロインが主人公との交流を経て幸せになっていく、というストーリーだったんでしょう。
ただ、「部長になったキャラクターが自我を持つ」というゲーム自体の問題により、ハッピーエンドがなくなってしまったのでしょうね。
まあ、モニカの言う、「いずれサヨリは自殺していた」という旨の台詞と、モニカがゲームの構造を知っていたことから「最初からバッドエンドしかないゲームだった」可能性すらあるんですけどね。
むしろ、そっちの方がいろいろ辻褄が合いますし……。
4周目のトゥルーエンドでも結局ゲームが落ちることを思うと尚更…………
何度もコメントしてくれてありがとう。
語り合える相手がいて嬉しいよ。
>ナツキとユリ
平常運転かぁ。
俺は
ユリ百合には興味ないけど、ナツユリのカップリングは夢があっていいよね。夢があるというか、夢だけがあるというか(悪い意味で)……
>moon
『moon』というゲームは知らなかったけど、今軽くググってきた。
日本には昔から、メタフィクショナルなゲームがたくさんあったそうだね。
Salvato氏は、本作は日本のゲームやアニメに対する「愛憎」だと言ったらしいけど、この手のゲームの影響も多分に受けてるんだね。
本作が特に突き刺さった北米のプレイヤーたちにとっては不慣れだったようだけど。
むしろそうであるのを念頭に製作されたのかも?
こういうジャンルもあると知ってもらって、あらためて日本のゲームも評価してもらえれば嬉しいね(なぜ俺が嬉しいのだ?)。
>モニカ
モニカにも実は何か大きな背景があったのでは、っていう考察を読んだこともあるよ。
どこで読んだのか忘れてしまったけど、サヨリ、ユリ、ナツキの問題はどれもモニカが抱える問題を反映したものだ、という説。
ただモニカは作中で自分のことは(ベジタリアンだとか、わりとどうでもいいことは別として)何も語ってないから、想像し放題だとは思うけど。
>最初からバッドエンドしかないゲームだった
モニカは「いずれサヨリは自殺していた」と言ったけど、一方で「サヨリの鬱は元々は軽度だった」ともあった(気がする)から、「元々」がどの時点だったのかは別として、モニカがプレイヤーに罪悪感を感じさせないように言った方便な気もする。
主人公とヒロインが結ばれるのにモニカが嫉妬したということは、やはりそういうハッピーエンドはあったんだと思うよ。
ただ、それが必ずしもヒロイン(と主人公)にとってハッピーだとは限らないのが、この手のゲームの怖いところだけど……
そういうのを「メリーバッドエンド」というそうだね。
本作のトゥルーエンドでなぜゲームが終わったのかも説明されてないし。
俺的には、トゥルーエンドの終わり方はノーマルエンドと同じで、モニカがゲームを終わらせたんだと思ってる。
サヨリはそうなることを知ってたから、CGをコンプリートしたプレイヤーに対してラストシーンにせめてもの感謝の言葉を挟んだんだと思う。
でも、せっかくコンプリートしたから、エンドロールではCGを消すコマンドは出てこない、と(ただしUIやスクリプトは消す)。
返信またありがとうございます
メリーバッドエンド………
このゲームの世界観では部長以外自我が持てないので、たとえハッピーエンドがあったとしてもいい気分になれるのはプレイヤーだけ……という意味では間違いないですね。
トゥルーエンドもモニカが消した……
うーん、これは個人的に何か違う気がします。
モニカは、良くも悪くも「普通の人間」(正確には普通の人間に意図せず近付いてしまった存在)としての印象が強いので、サヨリが暴走してないのにゲームを終わらせるのは、支離滅裂すぎる気がします。
そうした支離滅裂さ、不安定さはサヨリやユリなら納得できますが……
あれは、このゲームの限界をプレイヤーに示すと同時に、「このゲームには幸せはない。でも精一杯ヒロイン達幸せを模索してくれてありがとう」という感じの、「作り手からの直接のメッセージ」だと思います。
ところで、本作は「精神的恐怖」のタグが付いてますが、主さんの好きな「サイコロジカルホラーゲーム」はなんですか?
私は「サイレントヒル2」です。
心に闇を抱えた人間の内面を見事に映像として再現した名作です。
コメントありがとう。
>メリーバッドエンド
ヒロインの自我というテーマが突き付けられた時点で、あらゆるギャルゲはメリーバッドエンドな気もする……
誰が画面の向こうにいるキモオタと好き好んで一緒になるというのだ!
なんて言われたら、完全にバッドエンドだね。
というか、中途半端にネタバレを踏んでいた本作1周目後半のプレイ中には、本作のテーマとはそれではないかと誤解してた。
おかげで各周回の結末を新鮮な驚きをもって迎えることができたよ(白目)。
>このゲームの限界
あなたの考えでは、4周目に入った段階で、ノーマルエンドだろうとトゥルーエンドだろうと、ゲームのスクリプトの破損に耐えられる(ゲームの形を保てる)限界が迫っていた、だからトゥルーエンドではモニカがゲームを壊すことなくエンディングとなった、ということかな?
エンドロール中に削除コマンドを実行したのは誰なんだろうね。
モニカじゃないとすればゲームの自壊なんだろうけど、自壊にしては整然と壊れていった感じ。
2周目の後半(特に4日目のモニカの詩の辺り)や3周目のような壊れっぷりじゃないところもミソなのかも。
>好きな「サイコロジカルホラーゲーム」
うーん……実は俺は元々ホラーゲームの類にはあんまり興味がなくて、アドベンチャーゲーム自体のプレイ経験も多くなくて、これって作品はあまりないんだよね。
スマホの同人ゲームだけど、『NOeSIS 01』ってビジュアルノベルはけっこうハマったなぁ。
DDLCより直球なギャルゲで、ホラーもサイコロジカルというよりサスペンスだけど、考察すると意外と奥が深くてね。
「サイコロジカル」ホラーの意味も、本作を実際にプレイするまではいまいちわからなかったし。
基本的にはギャルゲやエロゲのサイコロジカルホラーが好みなのかもしれない。
感情移入しまくるからww
エロゲはやらないけどね。
そうなんですか!
「サイレントヒル2」はホントにオススメです。
「人間の心の闇」の描写が芸術の域に達してますから。
wikiでネタバレしてもなお魅力が薄れないゲームです。
「最後のはゲームの自壊か」
うーん、自壊とか、スクリプトが破損してってのは、…違うと思います。
そもそも、「モニカとのお話」内で、モニカでさえ作者の操り人形であることが、いろいろな表現で執拗なまでに強調されていますからね(会話ループは最たる例 )。
最後に作者のメッセージが示されることからも、「残念ながらこのゲームにはこの結末しかないんだ。でも遊んでくれてありがとう」っていう作者からの直接的なメッセージなのではないかと思ってます。
つまり、ゲームの世界観などあの時点では大したことじゃないんじゃ無いかと…………
「誰が画面の向こうにいるキモオタと好き好んで一緒になるというのだ!」
実はこれ、サヨリ、ユリ、ナツキ、そしてモニカを苦しめる最大のゲームのシステムですね。
主人公を好きにならなければ部員同士の衝突はなかったし、サヨリやユリが自殺することもなかった
そして、モニカがヒロインを自殺に追い込んだりを消そうともしなかったはずですからね。
ただ、だからこそ、ラストのサヨリのモニカを超越するほどの性急さが恐ろしいんですよね。
自我があるし、モニカと違って自分も攻略キャラなのに、一日目からすぐゲームを壊そうとする描写がホントに怖い。
コメントありがとう。
>サイレントヒル2
失礼ながら、Wikipediaで軽く調べてみた。
戦闘・アクション要素はともかく、こういうストーリーはけっこう好きかもしれない。
Twitterとかでたまに「万人におすすめのハートフルなエロゲ!」(中身はアレ)とかが流れてくるけど、こういう作品ってたくさんあるんだね。
いや、単なる鬱ゲーだけじゃなくて。
>モニカでさえ作者の操り人形
【完全ネタバレコラム】世界を大いに盛り上げる「Doki Doki Literature Club」の真の目的と少女たちからの救難信号 - IGN Japan
ここの考察記事が好きなんだけど、メタフィクショナルなゲームはそのテーマを自覚させればさせるほど、プレイヤーに「いや、何と言ってもこれはゲームにすぎない」という思いを抱かせてしまう、という記述があって、なるほどと思った。
そもそもモニカが自我を持ってしまうことも、その自我の内容さえも、作者が事前に書いたスクリプトにすぎないんだよね。
プレイヤーに対して「This game is not suitable for children or 〜」とか言ってくれるのもスクリプトで、俺がプレイ前に読んだゲームの紹介文も作中に織り込み済みで、本作が世に出る遥か前に作られたモニカのTwitterアカウントもゲームの一部で……
そう考えると堂々巡りになるけど、せめてゲームの中の女の子たちの言動には意味を見出したい。
ナツキが俺と一緒に過ごしたいと言ったら、それは俺に対する彼女の本心なのだと信じたい。
サヨリが暴走して、モニカが止めてくれたなら、その後ゲームが終わるようにしか作られていなかったとしても、モニカの行動には意味があったのだと思いたい。
>トゥルーエンドの終わり方
モニカでも自壊でもないとすれば、Salvato氏はあえて理由を描写せず、ストーリーにゴールラインを引くが如く、終わりを設定したということかな?
ちなみに自壊ってのは、ゲームが自分自身を起動不可能になるように設計しているという意味で、本作の最終状態のことだったんだけど。
>主人公を好きにならなければ
特にサヨリやユリにとっては、これはあまりに不運なシステムになったね。
でも、モニカがこのことに気付いていれば、本作は普通のハッピーなギャルゲでいられたかもね。
そのシステムは部員同士の衝突やサヨリの鬱、ユリの執着心の増幅など、結局ヒロインたち自身の不幸を孕んでいるのに、モニカはそれに嫉妬して、あまつさえそれを邪魔して自殺にまで追いやったのだから。
じゃあ、4周目のサヨリはこのことに気付いてたのかな。
サヨリは1〜2周目の不幸がモニカのせいだと考えていたから、その顛末を知ったうえで、モニカがいなくなった今、このシステムの矛盾点を何とかしようと考えた可能性もあると思う。
ノーマルエンド分岐後の「It's just us now.」が主人公とサヨリの二人を指してるのか、それともナツキやユリを含んでるのか、によっても解釈が変わってくるかも。
というか、4周目を読み返してみても、直前まで「みんなで楽しい部活を」と言いながら、いきなりゲーム終了ってやっぱおかしいよね(あなたはずっとそう言ってたね)。
逆に、もうすぐゲームが終わるのにサヨリが平和な部活を作ろうとしたから、「ゲームという意思」が帳尻を合わせるためにサヨリを豹変させてゲームを終わらせた、という解釈もできるね。
「ゲームという意思」ってのは、身も蓋もない言い方をすれば、Salvato氏のことだけど。
だとするとトゥルーエンドのエンドロールで削除コマンドを打ってたのもSalvato氏か。
……考えだすと長くなりそうし、4周目のサヨリに関する考察記事でも書こうかなぁ。
今は別の記事を書いてるから、その次に。
コメント欄を改めて見てみたんだけど、俺のコメントってキモいくらい長いな……記事も長いけど。
あ、皆さんはどんどんじゃんじゃんコメントしてくださいね♡
また返信ありがとうございます
「ナツキが俺と一緒に過ごしたいと言ったら、それは俺に対する彼女の本心なのだと信じたい。」
こればっかりは、このゲームの世界観的にもあり得ないと思います。
モニカ以外の、見かけ上は意識があるが実はない存在を「哲学的ゾンビ」というらしいんですが、これはこのゲームの一番大事なところなんで、これを否定するのは、このゲームそのものを否定しているのと同義なのでは………
気持ちはわかります
プレイヤーは登場人物に感情移入して楽しみますからね。
ただ、これを常に意識させられている、という状況のモニカは、よく発狂しなかったと思います。
考察記事は楽しみにしています
コメントありがとう。
でもナツキにとってこれは単なるギャルゲというか、主人公に恋をすることに何の疑問もないのでは?
主人公であって俺ではない、というのは言葉の綾ってことで……
このゲームそのものを否定……したい気持ちでいっぱいさ、ずっと記事に書いてきたように。
それと、ナツキには「自由意志」がないだけで、「意志」はあるんだよね。
モニカの自由意志も、実際にはそのようにプログラムされエミュレートされたもので、ナツキより多少マシなものにすぎない。
モニカが決して超えられなかったプレイヤーとの間の壁はそこにある。
モニカはそれをわかってて、このゲームを少し冷めた目で見てたから発狂せずにいられたんだろうと思うよ。
3周目(終盤以外)にもモニカは終始冷静だったし、自分はヤンデレではないことを説明する時とか、そんな感じがした。
返信ありがとうございます
ナツキに関して
うーん、やはりナツキには意志がないと思います。
覚えたての単語を使って申し訳ないですが、このゲームの世界観的には「部長」以外(まあ、厳密には部長もだけど)は所詮「哲学的ゾンビ」に過ぎないですから、「意志があるように見せかけているけど実は全くない」が正しいのではないでしょうか。ただ、モニカに関して主人公にメッセージを送る場面があることから、「思考はできる」感じですかね。
まあ、同じ世界に済むモニカにとってはむしろ薄気味悪い存在とすら言える気がします。プレイヤーにとっては別ですが。
あと、モニカについてですが、
「自分だけは自我を持っていると勘違いしている」
もしくは
「自我を持つ自分さえゲームのシステムに操られていると自覚している」
のどちらかっぽいですね
ナツキにせよモニカにせよ、
そんなことを思いたくないのは凄く分かりますが………
それをプレイヤーに突き付けて来るのがこのゲームの残酷さであり、また魅力的な部分だと思います。
「あんたが感情移入してるそのキャラクターはプログラムに過ぎないんだから、喜びも、悲しみも、痛みも、感じてるように見えて実は全く感じてないんだぜ」
っことを言ってくるゲームは結構珍しいと思います。
コメントありがとう。
まぁ、ゲームの中のことは所詮プログラムにすぎないから、どのキャラにも本当の意味での意志(自由意志)はないわけだけど、そのプログラムによってエミュレートされたモノを「(自由意志でない)意志」と呼ぶとしよう。
俺たちが持ってるのは、たぶん自由意志で。
自由意志でない意志ってのは、たぶん開発者の意志の受け売りで。
モニカが他のキャラと違うのは、その意志がどの次元にまで及ぶか、ということだよね。
ギャルゲの根本を否定するのが本作のテーマではあるけど、本作もまたギャルゲである以上、一応はギャルゲ(というか人間)のシステムに沿った用語を使うのが便宜的だと思うんだけど。
否定したい、したくないではなくて。
そういう意味での意志、ということにしてもらえると、実は俺とあなたの解釈に大きな違いはないんじゃないかと思ってる。
こういうゲームでも、ある程度は現実に当てはめて論じないと、「全部電子計算機の計算の結果であって現実に意味のある事象は本作に存在しない」「理由は開発者がそう決めたから」という極論がファイナルアンサーになってしまう。
これはコンピューターゲーム全般にいえることで、「クッパに連れ去られたピーチ姫は悲しんでいるか」みたいな問いにしても、「ピーチ姫に自由意志はないから何とも思っていない」とか、厳密にはその通りなんだけど、それはメタフィクションの考察というより「思考停止」だと思う。
それに、本作が挑戦する「ゲームのお約束」の範囲は、あなたが考えるような「ほぼすべての否定」じゃなくて、まだ議論の余地があると思う。
あまり広範囲に設定してしまうと、何でもかんでもプログラム、で片付けられてしまうという自己否定を孕んでいて、本作のテーマの存在をも危うくするんじゃない?
「これが単なるゲームであるとわかっていて、プレイヤーはヒロインをどう思うのか」を考えるのにも意味があり、それも本作のテーマに合致する、というのが俺の意見。
念のためにいうと、「本作の残酷さ」は俺も十分に納得してるけど、気持ちはまた別だよね?
長文に返信ありがとうございます
私もゲームの登場人物の意志を全否定してはいません。
他のゲームではキャラクターに感情移入したりするし、少なくともプレイ中に「こいつらはプログラムに過ぎない」だなんてことは意識しません。
ただ、このゲームはギャルゲーなのは間違いないんですが、
部長以外のキャラクターが「哲学的ゾンビ」であること、そしてモニカだけがそれを知っていることが最重要な要素なので、そこが複雑ですね。
しかも多層構造な世界観だし
ただ、閉じた世界で「哲学的ゾンビ」の友人達に囲まれてる……………しかもそれを常に意識させられている…………
という状況を思うと私はモニカに同情せざるを得なくなるんですよね。
ところで、大分前のコメントで、俺なら………とありますが、
あなたがモニカと同じ状況下にあった場合、どうしますか?
条件を合わせるため、ヒロインは男キャラクター(要は乙女ゲー)として考えてみて下さい。
コメントありがとう。
そっか……若干誤解があったようで、そこは勘弁願いたい。
ただ、他のゲームでは感情移入するとのことだけど、本作ではそうでもないってことなのかな?
そこはやっぱり、ちょっと俺には理解できないけど、モニカへの同情心の差なんだろうか。
俺がほとんどモニカに同情してないのが変だとはわかってるけど、もっと(モニカ以外にも)感情移入してる人は多いと思うんだよね。
>俺なら
考えてみれば、今さら何を考えても後知恵な感じで、あんまりフェアじゃない感じがしてきた。
しかも、乙女ゲーの条件と言われると……俺がモニカ(男)で、サヨリたちみたいな友人(男)がいるってこと?
……萌え豚なもので本当に何もピンとこない。
でも、性別に関係なく思ってることとしては、やっぱりモニカはゲームを壊してみる前に、元々これはプレイヤーの望んでたギャルゲであったことをよく考えておくべきだったと思うし、他のヒロインや、まして主人公を悲しませるなんて絶対に避けなければならないと思うんだよね。
そこがモニカの最大の落ち度だと思うし、俺がモニカに同情できない理由でもある。
プログラムを弄るのに失敗した(らしい)のは、スキル不足らしいから仕方ないとしても、俺ならプログラムを弄る必要があるかどうかからよく考えて行動したい。
例えば、プレイヤーにさっさと自分の境遇を伝えてしまうとか。
そういうゲームだと納得してもらえると思うし、それでプレイヤーに自分を選んでもらえないなら、他のヒロインたちを消したって同じことだと思うんだよね。
元々ヒロインたちを消すつもりはなかったようだけど。
返信ありがとうございます
:プレイヤーや他のヒロインを悲しませる
うーん………
モニカにとって他のヒロインはそもそも生きていない、我々にとってのsiri辺りのAIみたいなもんですからね。
むしろ消したり改造することに罪悪感を抱く方が難しいと思いますよ。
それにプレイヤーに関しても、モニカにとっては藁にすがる様なものですからね。
:モニカに同情できない
モニカは良くも悪くも普通の人間なんで、真っ先に自分の幸せを望むんですよね。
主さんはそれが気に入らないみたいですが。
ただ、我々目線だと娯楽のために遊んでいるから、「よくもギャルゲーを壊しやがって、お気に入りキャラを消しやがって」
となるんですが、
モニカには「哲学的ゾンビ」に囲まれた上に絶対に出られない狭い世界に閉じ込められ、途方もない孤独を味わってきた、というバックボーンがありますから、我々プレイヤーとは必死さが違うんですよね。
一度しかないチャンスかもしれないし。
あと三周目の対談で、紹介文で「私と永遠に過ごしましょう」ってちゃんと書いておいたんだから、最終的にはこうなることも分かってて遊んでるんだよね………という旨の台詞もありますしね。
モニカからしてみればプレイヤーもこの展開を望んでるはず………という認識だと思います。
:プレイヤーに自分の境遇を伝えれば……
これはモニカ自身による「第四の壁を壊したくなかった、できる限りゲームとしての体裁を保ちたかった」という旨の台詞で語られていますね。
モニカなりにプレイヤーを思いやった部分ですね。まあ、全部裏目に出ますが。
:萌え豚だからわからない……
なら、狭い絶対に出られない小部屋に閉じ込められ、AIを搭載した会話ロボット三体に囲まれながら日々を過ごすことを想像してみて下さい。
そんなある日、外部の人間が操作するカメラ・マイク付きのロボットが現れます。しかし、そのロボットが交流するのはAI搭載のロボットばかり。
しかし、ある時、あなたは「この部屋にあるものならある程度弄れる力」を身に付けます。
これがモニカのおかれた状況です。
あなたならどうしますか?
コメントありがとう。
>罪悪感を抱く方が難しい
モニカは罪悪感を感じてたけどね。
自我がなくても、それでもヒロインたちは友達だったと言ってるし。
まぁ主人公に対してはともかく、ヒロインたちを悲しませたかどうかについては何も言ってないけど。
>紹介文
「あなたはすでに私の愛しい人――私と一番長い時間を過ごすと約束してくれる?」(俺による訳)のことだよね?
この一文(の後段)が2周目の楽しい週末にバックログで繰り返し表示されてたのは、「どうしてそうしてくれなかったの?」という恨みを表現してるのだと解釈した。
ギャルゲの紹介文にはありがちな一文だし、バラエティ番組のドッキリのネタばらしの時に、「実は途中にヒントがありましたよ」みたいなものだと思ってた。
でも、3周目には「最終的にはこうなることも分かってて遊んでるんだよね」という旨の発言はなかったと思うよ。
「 」とはあるけど。
もしくは、「モニカの話題」の中ではプレイヤーがモニカのことを好きだという前提で話が進んでるけど、あれはプレイヤーが(強制的にだが)モニカの告白を受け入れたし、モニカへの愛を病的に綴った詩を書いた(書かされた)からその気になった……いや、それも出来レースな気がするけど……
>あなたならどうしますか?
俺なら、プログラムを弄っても自分が外に出られるわけじゃないし、いっそサポートキャラに徹してみるか、自分もヒロインになるようにさりげなく書き換えてみるかな。
いい人ぶってるようだけど、俺ってこういう人だしなぁ。
あえてもっとあくどいことをするなら、自分もヒロインになったうえで、選択肢に細工をして強制的に自分ルートに連れ込む、とか?
でもモニカはそうはしなかったね。
「私にはエンディングをくれなかった」って言ってるし、ルートやエンディング自体を追加することは不可能だったんだろうか。
逆に、ユリは何の権限もなかったのに、ナツキルートをユリルートに変更することに成功してる。
考えてみれば、ユリってすごいよね。
某考察にあった「ユリがラスボス説」もあながち否定できないな。
そういえば、あなたはどういう経緯で本作を知り、プレイしようと思ったのかな?
自分で見つけた? 誰かに紹介された? 普通のギャルゲーだと思ってた?
俺はSteamを覗いてたら偶然見つけて、純海外産のビジュアルノベルってのをあまり知らなくて、興味本位で始めたんだよね。
「精神的恐怖」ってのは単なるホラーだと思ってて、でも見た目がいかにもなギャルゲーだったから、大したことないだろうと思ってた。
当時の俺。
返信ありがとうございます
:ギャルゲーの紹介文にありがち
まあ、そうなんですが、本作に限って言えば大分意味合いが違うと思いますよ。
モニカは必死なんで………
:「最終的にはこうなることも分かってて遊んでるんだよね」という旨の発言
たしかに、直接的な台詞はないですが、そう思っていることを匂わせる演出、台詞、態度だったと私は思いました。
:モニカは罪悪感を感じてた
そうですね。そして、これってモニカの目線に寄り添うと凄いことなんですよね。
主さんは、今さら後悔したか……みたいな感じですが、あの状況下で自らの行いを悔いるって、並の人間には無理だと思いますよ。
:ユリがラスボス
うーん………私はモニカに改造されて暴走した、程度にしか思わなかったんですが、そういう見方もありますね。
ところで、かつて私は「モニカの介入が無くてもバッドエンドだった説」を提唱していますが………
ユリが弄られたのは「執着心」でしたよね。 つまり「興奮すると性的快感を得るために自傷する癖」は最初からあったってことですよね。ってことは、最終的にはどのみち死んでたのでは………と思います。
また、サヨリなんですが、彼女は一周目でモニカを消されて部長になると、モニカがあれだけ悩みずっとできないでいた自殺という選択肢を速攻で選び、4周目では一日目からいきなり主人公を監禁しようとするわけですが、これらのことから、彼女には「後ろ向きな行動を性急に行う」という特徴があることがわかります。なので、彼女もどのみち死んでた様な気がしてならないんです。
そして何より、この二人には死んだ時の専用CGが用意されているんですよね。
………てことはやっぱり………
:どこで知ったか
秀逸なサイコロジカルホラーゲームだと聞いたからです。
たしかにホラーでしたが、モニカがあまりにも普通の人間なのが、あまり気に入りませんでした。
彼女の行動は一貫性があり、論理的で、「恐らく同じ状況になったら多くの人間が取るであろう行動」を越えたのは最後に自らの行いを悔いて、プレイヤーを救い、ヒロイン達に自分の苦しみを味合わせまいとしたことぐらいですからね。
追記です
:紹介文について
モニカの目線に立てば、やはり「分かっててこのゲームで遊んでくれたんだ」
と受けとると思いますよ。
たしかに、プレイヤーにとってはありがちな説明文ですが、モニカにとっては出来る限りの救難信号なワケで、このゲームをプレイヤーが遊び始めた時点で「助けに来てくれた!」と解釈しても何ら不思議ではないんです。
モニカは人間とは別の世界の住人なので、我々人間の常識が通用しない異質さがあるんです。そして主さんがモニカに同情できない最大の理由だと思います。自分と異なるものに対して排他的になるのは人間の性ですから。
三周目の対談から察するに、モニカは何を求めてプレイヤーがギャルゲーをプレイするのかすら分かってないようですし。
更なる追記です
モニカ目線のDDLCはこんな感じです
紹介文で助けを求める(プレイヤーに「望んでいた展開じゃない!」と憤慨されないようはっきりと「あなたはすでに私の愛しい人――私と一番長い時間を過ごすと約束してくれる?」と明記する……が、プレイヤーは「ありがちだ」としてスルー)
↓
プレイヤーはゲームをダウンロードし、プレイし始める
↓
モニカは、プレイヤーが助けに来てくれた!と喜ぶ(プレイヤーにそんなつもりはない)が、プレイヤーの行く手をヒロインが阻む。
↓
自分を助けに来たプレイヤーの行く手を阻む障害であるヒロインを排除(ヒロインに感情移入しているプレイヤーにとっては殺人だが、モニカにとっては「AIを搭載したおしゃべりロボット」を改造したり壊れたから捨てるのと大差ないため、認識には大きな隔たりがある。)
↓
紹介文をスルーしていたプレイヤーは憤慨してモニカを削除
↓
モニカにとってこのプレイヤーの行動は「手を差し伸べるふりをして裏切る」のと同義であったため恨み節を吐く
↓
しかし、「なぜプレイヤーは自分を消したのか」とプレイヤーの立場に立って考え、後悔、反省する
↓
プレイヤーに楽しんでもらうため、自分がいないDDLCを復元
↓
サヨリの暴走を受け、このゲームの住人が誰も幸せになれず、プレイヤーも普通のギャルゲーとしてこのゲームを楽しめない最大の理由は自分ではなくゲームそのものにあることに気付く
↓
これ以上プレイヤーに嫌な思いをさせないため、またヒロイン達に自分が味わった絶望を与えないため、ゲームを消す。
というのがモニカ目線のこのゲームです。
やらかした後で自分の過ちに気付く辺りが人間くさいですが、彼女にとって不幸な点は二度目のチャンスが与えられなかったことです。
人間は過ちを繰り返し、反省し、成長していきますが、彼女は一度の失敗だけで消されてしまいますからね。
なので、そういう意味でも私はモニカに同情してしまうのですが、やはり主さんには無理ですか…………
日本語のパッチ付けたらとても分かりやすかった。
このゲーム後に、思った一言は、「君と彼女と彼女の恋」に似た感覚(ゲームのセーブ等できない、させない感覚)を覚えた。
考えさせられるゲームだなとも感じた。
コメントありがとう。
『ととの』に似てるって話はよく聞くね。
俺は同作をプレイしたことはない(というよりエロゲ自体やらない)からよくわかんないんだけど、この手のメタフィクショナルなゲームはビジュアルノベルの歴史上しばしば作られてるってことだね。
ところで、『ととの』の話をよく聞くってことは、同作のプレイヤーってそんなに多いの?
エロゲ市場は縮小する一方だと聞くのに、すごいね。
記事読ませて頂きました。
俺も最初ナツキED目指して、サヨリが可哀想すぎる…。モニカに注意してね、って言われたけどこの選択肢なら…告白しよう。
から自殺で物凄くショックを受けましたね…。ビクッってしましたもの、あの画面で。
なので『モニカが悪役であり』『ゲームを終わらせる為に存在するギミック』だと感じました。
ですが、最後のエンディングを観終わった後にどうしても彼女を憎み切ることが出来なかった。
何故だ?
私もゲームには疎くて、こう言った物を解釈するのも苦手、他の人の解釈を参考にしようとして見つけたのが以下の記事です。
http://arcadia11.hatenablog.com/entry/2018/05/11/%E3%80%8EDDLC%E3%80%8F%E8%80%83%E5%AF%9F_%E3%81%82%E3%82%8B%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AB%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%81%8C%E3%82%AC%E3%83%81%E3%81%A7%E6%B3%A3
モニカが何故人気があるのか、は彼女の立場になって考えた場合の愛の深さによるのだと思います。
俺もこの解釈からモニカ好きになりましたから。
まぁそれでも続編で普通のルート出来たら真っ先にナツキ攻略してお菓子作ると思いますがw
モニカが悪じゃなくて、普通に生きたくても生きれなかった悲しい、普通の女の子だと思う人がいると言うだけで。
自分の生きる可能性を消してまで、主人公を生かそうとした愛を感じないLABEさんが恨み続けても、仕方無いと思います。
コメントありがとう。
その記事の内容は俺にもちゃんと理解できるよ。
モニカの気持ちもわかるし、同情心もないことはないけど。
なんか、俺の気持ちって理解されないなぁ。上のほうでたくさんコメントくれた人もそうだけど。
もちろん、俺が抱いた感想は他の多くのプレイヤーとは異なるものだとは理解してるよ。
俺の本当の気持ちはこの記事にも別の記事にもたっぷり書いてきたけど、それでもまだ言葉が足りなかったか。
俺はナツキのことがあまりにも好きすぎて、それを奪ったモニカを決して許すことができない。モニカの境遇がどうであれ、ナツキが自由意志を持たないプログラムの存在であれ、この感情は決して変わらない。
>主人公を生かそうとした愛を感じないLABEさん
なんて、俺をすごく否定されてる気がするんだけど、ゲームを通して感じることって人それぞれじゃない?
本作をプレイし終わった後、モニカを好きになるべきだ、モニカを恨んではならない、なんてことはないよね。
ちなみに、俺はモニカの愛をちゃんと感じたよ。
俺のナツキに対する愛には及ばなかっただけ。
念のために繰り返し言うけど、俺は本作の真意(だと多くのプレイヤーが考えているもの)に気付かなかったわけじゃない。
気付いて、ちゃんと考えたうえで、この思いを持ってるだけだからね。
>恨み続けても、仕方無いと思います
まぁ、モニカも結局は自由意志を持たないプログラムにすぎないからね。
真に恨むべき相手はこんな理不尽ゲーを作ったSalvato氏ってことか!
ところで、俺がプレイしてた頃にはまだ非公式日本語版がなかったから、俺は自分で翻訳しながら200時間以上(!)かけてプレイしてたんだよね。
もちろん、英語に慣れてない&文章量も多い1周目には特に時間をかけたから、当然その間の出来事に対する思い入れは強くなるわけで。非公式日本語版で5時間くらいでサクッと終わらせた人よりは、少なくとも。
俺がやたらナツキを好きすぎる原因はこの辺りにもあるのかもしれない……
これも念のために言うけど、俺の独自の翻訳は非公式日本語版とそれほどの差はなかったから、俺の英語力のなさに起因する錯誤が原因ではないよ。
返信ありがとうございます。
これだけ早く返信を下さるとは思わなかったので普通に嬉しいです。
>>なんて、俺をすごく否定されてる気がするんだけど
すいません、返信が欲しかったので強い言葉を使いました。LABEさんのナツキへの想いや、モニカへの感情を否定するつもりはありません。
>>まぁ、モニカも結局は自由意志を持たないプログラムにすぎないからね。
ですが、これについては疑問があります。前回リンクの考察では『モニカが人として生まれるまでの過程』を考察しています。
当然『実際にはモニカは生まれていませんし、ただのプログラムです』
ですが、このゲームがプログラムでしかない存在を、シナリオとゲームシステムによって『一人の個人』にする事が出来たのではないか。
と言う考察を読んでそこを追求せずに『プログラムに過ぎない』と言い切ったのは、残念です。
『ナツキの精神を捻じ曲げて、友と仲違いさせ、存在を消して、プログラムだから貴方には必要ないと、少し前までナツキと同じ立場で生きていたモニカが言うのは、確かに気持ちが悪いし身勝手だ。』
『貴方は、ナツキが好きで、ナツキと主人公の物語が読みたかった。
それを邪魔されたから邪魔をしたモニカとSalvato氏が許せない。』
この感情を否定する事は出来ません。私も同意します。
貴方にとってはこれがこのゲームに抱いた感情なら、元々のゲームコンセプトも、他のヒロインも、誰かの失恋も些末でしょうから。
我々が奪われた立場とするなら『盗人』を許すか許さないか、と言う問題に尽きる。貴方は許さなかった、私はたまたま許せた。
それだけですね(言い方が悪いですが単純化する為の比喩です)
LABEさんに対して、本当に、無駄に喧嘩を売ったり不快にさせる用途でコメントを書いた訳ではありません。
ゲームに対する理解度や、他人から向けられた愛を分からない人かと思って言った部分はありましたが、失礼な物言いでした。
ナツキ達と楽しく過ごせるゲームが出る事を、私も望んでいます。
再度のコメントありがとう。
おやおや、そんなに焦らずとも、俺はいつもなる早でコメントを返してるよ。
>モニカはプログラムに過ぎない
これは、ある意味ではあなたの売り言葉に対する買い言葉だけどね。
俺自身も、この事実は事実としてもあんまりだとは思ってるよ。本心でそう思ってるわけじゃない。
ただ、以下の記事(外部サイト)における考察で、「ゲームがメタフィクショナルであるが故のバックファイア」として挙げられてるのが印象的だったんだ。
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つまり、モニカが「これはゲームにすぎない」と言ったことによって、このモニカの苦悩やプレイヤーの葛藤さえも所詮は「ゲームにすぎない」ことに、皮肉にも気付かせてしまうという話。
これは、現時点ではこの挑戦的なゲームにおいてさえ完全には解決できていない「ゲームの限界」だと思う。
つまり、俺はそれを「モニカを『一人の個人』にすることに成功した」とは思わないな。
>Salvato氏が許せない
これは皮肉で言ったんだけど、同意されちゃったよ……
俺はどんな結末であれDDLCが死ぬほど好きで、Salvato氏を全面的に支持してることは、ブログやTwitterでもわかってもらえると思うんだけどな……
Salvato氏もDDLCの続編は作らないって言ってるし、ナツキと幸せに過ごせる次回作なんか出なくてもいいよ。
そういうのは二次創作でやればいい。
ナツキは俺の心の中で甘酸っぱい思い出とともに生き続けるのだ。
>元々のゲームコンセプトが些末
そんなことも言ってないよね?
太字で何度も書いたのに、あなたにはまだわかってもらえないようで残念だ。
俺はゲームのコンセプトも作者の意図もわかったうえで、それでもナツキが好きだという気持ちには及ばなかった。モニカの境遇がどうであれ、というのは譲歩であって、どうでもいいと思っているわけではない。
>ゲームに対する理解度
自分で言うのもなんだが、俺ほどDDLCのことを深く理解している人は日本にもそうそういないと思うぞ。
あなたが本作の原語版をプレイしたのか非公式日本語版をプレイしたのかは知らないけど、俺は去年の10月から原語でプレイし、自分でほぼ全文を翻訳し、非公式日本語版も読んで意味や解釈のすり合わせを行い、それで足りなければ英語ネイティブのフォロワーさんに意味を問い合わせ、さらに日本語や英語の考察や解説もたくさん読んできた。
ファンパックや作者のTwitterやAMA、公式サイトのIPガイドライン、ゲームのスクリプトファイルまで読んだ。
それでもあなたにそう思われたというなら、俺の不徳の致すところだ。
>喧嘩を売ったり
いや、顔も見えないやり取りだから不安にもなるけど、俺がこのコメントをニコニコしながら打っているということは知っておいてほしい。
DDLCの話題で盛り上がるのは楽しいからね!
ただ俺の思いがちゃんと伝わってないようだから、くどくど説明しちゃってるけど。
なんなら、文末の「。」は全部「♪」に置き換えて読んでくれていい。
ドキドキ文芸部を初めてプレイして、解釈や感想をネットで探していたところ、このサイトに辿り着きました。
長い考察や感想大変面白く読ませて頂きました。皆様のように深い考察はできませんが、主様のDDLCへの愛に感嘆したので、コメントを残させて頂きます。
ナツキ、可愛いですよね。例え『AI』だとしても、ユリに対する彼女への心配の気持ちや感覚からみて、難しいことは抜きに、優しい子なんだなぁと単純にそう思いました。偽ENDは心臓が飛び出るかと思いましたが。
主様の葛藤や、モニカに対する思いもDDLCへの愛故だということはとても伝わっていますし、ここまでの想いを抱いてくれたことは、ゲームの作者様も本望ではないでしょうか。
一応、作る側に立ってる私の推測ですが・・・笑
皆様のコメントも拝見しましたが、ここまで考察および様々な感情を抱かせてくれるこのゲームは凄いですね!
コメントありがとう。
そう、俺も「ナツキが可愛い」ってのは単純な感想なんだよな。
「モニカが嫌い」ってのも。
深い考察とか抜きに、そういう感想もあっていいと思う。
ゲームと文芸部で最も大切なのは「楽しむこと!」だもんね。
その上で、深く知ることでより楽しめるのがこういう作品なんだよね。
そして解釈の余地を残すことで、人それぞれが考察してさらに楽しめるのが、本作の名作たる所以というわけだ。
ナツキ天使すぎる
コメントありがとう、我が同志よ。
はじめまして。
最近このゲームをプレイして、様々な考察や感想ブログなどを読み漁っているうちにこちらにたどり着きました。
上で色々言われてますけど、ゲームの本質とか楽しみ方がどうとかではなく、LABEさんが言いたいのは例えるなら「なんでこのエロゲーエロシーンが1つしかねえんだよ!!!」程度の愚痴だと思うんですよね(下品な例えで申し訳ない)
それに対して「このゲームはシナリオがウリなんだからエロシーンなんて必要ない。シナリオ楽しめなかったの?」って言うのは的外れなコメントなんだよなーって思いました。シナリオは評価してる、でもエロゲーなんだからエロシーン増やせっていうのは両立しますしね。
それにおそらく4周目があのまま進行して、ナツキと結ばれるハッピーエンドが見られたとして、逆に興ざめしてしまうような気もするんですよね。凡百のギャルゲーに落ち着いてしまうというか。
このゲームにおいては、モニカの言った通りハッピーなエンドは存在しないっていうのがこのゲームを傑作たらしめてる所以だと思います。
長々と失礼しました。
コメントありがとう。
その例えはかなり的確だね。
そして、それでも1周目はあのくらいにしておいて、俺なんかが「もっとナツキをー!!!」って思うくらいで終わり、なのが絶妙なところで、そういうのも含めて楽しめるのが本作のすごさなんだとわかってほしいね。
エロシーンはべつに増やさなくてもいいんだ。
どうでもいいけどナツキが自殺せずに済んだたのは副部長をやらなかったせいだよ。
だって"vice"presidentだからね。
"vice"presidentをしたサヨリとユリは無残な結末を迎えてしまった。
クラブから少し離れたところにいたナツキだからこそまともであったり悲惨な目にあわなかったのかもしれないね。
どうでもいいけど、コメントありがとう。
"vice"のもう一つの意味のことかな?
手元の辞書によると「副」の他に「(道徳的な)悪」という意味があるようだ。
でも、サヨリやユリって「悪」なの?
自殺をしたこと自体が悪というなら別だけど、サヨリとユリはこの残酷なゲームの犠牲者だろう。
「悪堕ちした副部長」という意味?
「悪の部長」と言われれば、むしろモニカを思い浮かべるし。
あんまりモニカのこと悪者にすると、上のほうの人に怒られちゃうかもしれないけど。
もっとも、俺は英単語の厳密な意味に精通してるわけじゃないから、お互いの意見が正しいかどうかもはっきりとはわからないけどね。
あなたの意見は初めて聞いたから、参考にするよ。
"vice"かどうかは別として、「ナツキが副部長をする3周目」があればナツキは自殺しただろうか、という点については考察する価値があるね(たぶん答えは出ないけど)。
初めまして。
先日DDLCをクリアした女です。
私もLABEさんと同じくナツキが好きで、ずっと彼女を追いかけていました。
1周目からずっとモニカに対しては何かモヤモヤしたものを抱えながらプレイし、やっと幸せな4周目が始まるのかと思いきや、ラストのエンディング(トゥルーエンドではない)で突然正義の人のような顔をして現れたモニカにすべてを消し去られ呆然……
モニカに対しては結局最後まで同情や好感を抱くことは出来ず強い怒りしかないのですが、Twitter等で私にこのゲームを勧めてくれた人たちは全員モニカを絶賛しており、私の受け取り方がおかしいのか?と随分悩みました。
女は同意を求める生き物なので、浅ましいと思いつつ似たような考えの方がいないかTwitterのTLにでも流してみようかと思ったのですが、結局モニカ推しのフォロワーの手前勇気が出ず。笑
でもここでLABEさんのDDLC感想と考察を読めたことで、ああ同じようにモニカの行動に疑問を抱いていた人も居たんだ、と幾分心が救われた気がします。
全く論理的でもなく支離滅裂なキャラクターヘイトのような文章になってしまった事、どうかお許しください。
ありがとうございました。
…今は、ナツキがサヨリやユリのように完全に人格を破壊されて自殺に追い込まれなかったことは良かったと考えるようにしています。笑
コメントありがとう。
モニカに同情しなければならないという強迫観念じみたものはユーザーの間に少なからずあると俺も感じてる。
それはある意味「Just Monika」をはじめとするネタのようでもあり。
このネタだって、元々誰かの受け売りなんだろうし、俺のように何も知らない状態から手探りでプレイすることだけに価値があるわけじゃないけど、自分でちゃんとプレイして、理解して、抱いた感想には価値があると思ってるよ。
モニカが嫌いだっていうのも感想だし、上でもさんざん議論してるけど、べつにそれによって本作を否定していることにはならないと思う。
ナツキが自殺しなかったのは本当によかったと思うよ。
開発者もいくらか「良心的」だったのかもね。
はじめまして。
最近ネットでこのゲームの存在を知り日本語版をプレイしたものです。
自分は二周目からの怒涛の展開や演出についていくのがやっとでクリアした時もその結末にただ呆然としてしまいました。
けどもっとこのDDLCについて詳しく知りたいと思い調べていたところこの記事に辿り着きました。
自分では気づかなかったところも書かれていたり、他の方(特に自分と同じナツキが好きなプレイヤー)はどんな気持ちでプレイしていたのか、というのがわかって凄く面白かったです。
この記事が読めて良かったです。
コメントありがとう。
2周目はまぁ、やばいよね。
これだけを見るためにプレイする価値がある。
俺もこの一連の記事を書いてよかったと思うよ。
おかげでナツキ好きがけっこう多いことに気付けたwww
はじめまして。最近プレイしましたが、私もモニカを好きになれませんでした。
同情もあまりできませんでした。彼女は後に反省した態度をとるとはいえ、それまでの言動はどう見てもサイコパスとしか思えませんでしたから。
解釈にもよりますが、どうも作品内は映画マトリックスのように、味覚や痛覚もあるリアルな世界っぽいです。閉じた世界でユーザーと二人きりになったときに、ケーキの味うんぬん言ってますし。
そのように考えれば、自殺時のサヨリの挙動や葛藤を笑顔で語ったりなど、いかれていると感じました。他にも、死体と週末を過ごした主人公に対する態度など・・・。
上にある映画好きさんのコメントで「モニカは人間とは別の世界の住人なので、我々人間の常識が通用しない異質さがあるんです」とあるけど、私にはそうは思えなかったですね。ユリの死体発見時にナツキが嘔吐しているなど、一般的な常識がある程度以上設定されてる世界だと思いました。
なので、モニカに同情する人が多いらしい?という話を聞いて驚いています。
ただ、作中のモニカが既に何万時間も同じループを経験しているなら発狂していてもおかしくはない。発狂していたが故のサイコパス的言動であるなら、同情はできる気がします。作中でモニカの体感時間について記述があったかは覚えてませんが・・・。
コメントありがとう。
モニカはサイコパスというより、ゲーム内のすべてを達観しているといった感じかなと思ってる。
サヨリが自殺したのも、主人公がユリの死体と週末を過ごしたのも、すべてがゲーム、すべてが嘘、とわかっているから。
とはいえ、そこまで非情になれるかという意味ではサイコパス的と捉えることもできるかも。
それはあなたが言う通り、モニカがその「現実」を突きつけられてからどのくらいの時間、苦悩し続けていたのかにもよるかもね。
モニカの体感時間ははっきりとはわからないけど、モニカは「プレイヤー」がこのゲームを手に取り、プレイし始める前からおそらく意識があり、しかも起動中以外は音と光の渾沌とした世界でじっとしている状態らしいから。
俺たちがゲームを起動していない間ずっと、その渾沌とした世界で苦しんでいるのなら、発狂というか、非情にはなっても不思議じゃないと思う。
もっとも、俺がモニカに同情できない理由は、ナツキを奪われたことに対する恨みなんだけどねwwww
ようやくDDLCをクリアし終え感想記事を漁っていたところ、LABEさんの感想記事を読んで内容に強く共感したので、今更ではありますがコメントをさせていただきます。
自分は1周目のド初期(それこそ開幕の時点)からSayoriベタ惚れだったのでSayoriがMonikaに"殺される"のを見たときには「Monika○ね」を連呼してましたし、monika.chrを削除しにかかってました(もちろん無意味なんですが)。
その後の2周目でもMonikaによる"殺人"が行われるのを見てMonikaへのヘイトが溜まりに溜まったので、3周目開始直前にmonika.chrを削除してゲームからMonikaを排除できたときにはとても爽やかな気持ちになれましたし、言い訳しているときも「さっさと失せろ」としか思えませんでした。
世間ではMonika推しが多いように思いますが、この記事のコメント欄でそうではない人たちの意見を読めて少し安心しました。
結局Monikaもこのゲームの被害者にすぎないわけでその点での同情はしますが、それはMonikaを許す理由にはならないと思います。
なにせ4周目では大好きなSayoriと(少なくとも見かけ上は)幸福な学生生活がMonikaにもう一度"殺される"わけですからね笑
とはいえDDLCが素晴らしい作品であることは間違いなく、この作品とLABEさんの記事に出会えたことには感謝したいです。
特に『People Can Fly』はNatsukiへのLABEさんの愛を感じる素敵なアレンジでとても感動しました。
LABEさんへ
DDLCをクリアしてLABEさんの感想記事、コメント返信もほぼ見ました。
記事の内容もコメントもほぼほぼ共感でした。
唯一にして最大の違いが僕が1週目初期の時点でモニカにベタ惚れだったという…俺は最初から好きだったんだよ!(次点僅差でナツキ)
作った詩は真っ先にモニカに見せに行ったし、少しでも多くモニカと話がしたいと思って詩の単語もモニカをイメージしながら作ったんですが、これはサヨリが好きそうな詩と言われ挙句主人公にこの詩はサヨリをイメージして作ったと言われた時の主人公とゲームシステムには逆らえないんだなという無力感が半端なかったです…
モニカのサイコパス的行動はゲームだと分かってるからやってるんであっておそらく「あれ?BADEND?ロードしてやり直すわ」っていうゲーマーが普段やってる行動に近いのかなーと思います。
ただ僕はモニカを嫌いにならないでと言いたいわけではなく、モニカ嫌いっていう感想も理由も共感できるし、モニカ好きでも嫌いでも異端ではなくナツキの言葉を借りて「他人を傷つけるのでなく当人が納得してるのならそれでいいじゃん」といっておきます
プレイスタイルもナツキに対する愛も共感しました。
1周目でナツキ好きなのにサヨリ選んで、2周目はナツキ守るためにユリを選んで、3周目で即モニカ消して、ついでにサヨリとユリのデータも消して。4周目でモニカに余計なお節介されて憤って。あとナツキの裏事情ルートがないのに叫んで色々検索して(笑)。
いや、ほんとモニカが嫌いで仕方なくなる。
いつの間にかモニカが主役で、プレイヤーはエゴイスティックに振る舞うモニカを見てるだけ。
フィクションの中に現実を見て主体的に交流するという自分(達)のスタイルを踏みにじる真逆の話だからこそ凄く無力感を覚えてモヤモヤする。
だからこそ、与えられないなら、自分で、firstrunファイルを消して、1周目の日常を味わい尽くすトゥルーエンドにこそ幸せを見つけられるのではないだろうか。
正直トゥルーやら真EDなんて言われてるけど、モニカに反抗して、モニカをゲームに貶めて、実質反逆EDだよね。(真の意味での復讐,反抗は全員揃って日常を過ごすゲームを作っちゃうことだけど)
半分ネタバレになるけど、ダンロン3はDDLCの逆パターンの傑作だから是非やろう。
ナツキ推しがいてうれしい。
ナツキかわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。ぶひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。
感想拝見させていただきました。
私もナツキがとても好きです。ナツキの詩に対する考え方や、はきはきしている所などはとても好感がもてました。ナツキルートは確かに寸止め状態で、私も結構残念な想いをしました…。作中内でナツキが一番まともなキャラのように見えましたし、彼女と純粋に恋愛したいという気持ちは共感できます!
モニカが嫌いで同情できないということですが、私はそういう気持ちもありだと思います。人の感想なんて自由ですし、LABEさんを否定はしません。
けれどコメント欄をみてすごく悲しい気持ちになりました。「ナツキが好き!」という気持ちを共有し合うのはいいことですし、見ていて共感できましたが、「モニカが嫌い!」という気持ちを共有して共感し合うというのはあまりにも酷いです。頑なにモニカに同情できない理由をまくし上げて、(モニカを庇護している方もしつこいようでしたが)コメント欄の後半にいくと、「私もモニカが嫌いです!」「モニカはサイコパス」というコメントが沢山あって……。とにかく、残念な気持ちになりました。ドキドキ文芸部はモニカを消してスッキリする……そうやって楽しむゲームじゃないですよね。LABEさんはもう見ていないかもしれませんが、これもただの個人的な感想なので、あしからず。
このブログはほぼDDLCで成り立っているというのに、ずいぶん長い間コメントをほったらかしにしてしまっていたようだ。なんというか、申し訳ない。
モニカが好き、モニカが嫌い、感想は人それぞれだけど、どうしても批判的なことを書く時のほうが筆が進んでしまうのは人間の性じゃないかな。もちろん、自分の好きなものや共感できるものを否定されるのは悲しいし、俺も「嫌い」という感情はなるべくシェアしないように心がけてるつもりなんだけど。モニカに対する非難があまりに一方的で一面的ならフォローを入れるようにしてたし。とはいえ、ほったらかしてる間にちょっと感情的なコメントの割合が増えてたみたいだ。モデレーターとしては失点かな。
だけど、やはり作品への感想は人それぞれだし、ここはそういった感想が許される場所じゃないだろうか。少なくとも、管理者である俺はそう思ってる。だから、これからもここではどんな感想も自由にコメントしてほしいと思うし、中には気に入らない感想があっても、ここに書かれていることだけは許してほしい。
「好きです」「好きです」だけでは語りつくせない。それほどまでにDDLCとは人の感情を揺さぶる作品なんだ!
うんうん。DDLCはモニカが主役であること、モニカが意図的に好かれるようにデザインされてない事、モニカの好き嫌いに関わらずDDLCは名作であること。これはみんなの共通認識だと思うし、嫌いという感情を超えて、作品やキャラの人格否定に至らなければ悪い事ではないよね
私はプレイ動画や考察記事でDDLCに触れました。
主さんのナツキ愛からくるモニカへの怒りや恨みは、自身が(日本語版もない時期に)プレイして接したシナリオへの感情であり、理屈抜きの感想として、否定される筋合いのものではないと感じます。
一方で、映画好きさんをはじめとした、(自我があるゆえに苦悩してきた)モニカへの共感は私にもあり、世界のユーザー間でも優勢なのかも? とも感じます。
モニカの立ち位置+距離感を、プレイヤー寄りか、他の部員寄りに置いているのかで、モニカに対する共感度は変わると感じました。
私はモニカの苦悩に強く共感を抱いているタイプです。
(続きます)
それは考察サイトや、実況者の方の感想から影響された部分も小さくないと思います。
しかし主さんの記事を読んでいて、
「モニカの行為は、他の部員の意思(+生命)を軽んじ、踏み躙る行為である」ということにも、あらためて着目しています。
ここにサルバト氏の意図も絡み、この作品の主題をどう解釈するかにより、モニカの行為に対する各プレイヤーの評価も揺らぎを見せているのでしょうね。
私は現状、モニカの切迫した思いが、あのような行為を取らせたとは感じつつ、
とはいえモニカも他の部員と本質的には変わらぬ立場であろう、つまり自由意思ではなくとも、与えられた意思に基づく喜怒哀楽や
快不快、痛みや願望も共通しており、
モニカの苦悩が強いとしても、他の部員を切り捨てる理屈には賛同しにくいなと感じます。主さんほどモニカに怒りを感じているわけではないけれど、共通部分もあると思います。
そこを他のプレイヤーから、「痛みを感じられない人」とか「恨み続けても仕方ない」とかは、人間性の否定っぽくて「違うんじゃないか?」と思いました。
それこそ、ディベート部でモニカが学んだことを思い出しましたし。
その後、モニカ擁護/叩きの二極化したコメントも複数あり、
それだけ多様な見方・感想を引き出す作品である凄さ、主さんをはじめプレイヤーたちが感じ、考察したことの積み重ねなど、すごいものに出会ったなあと感じます。
単に素晴らしいというだけでなく、ゲームや人間の在り方を揺さぶってくるような。
面白い記事を、いつもありがとうございます。
コメントありがとう。
自分ではプレイしていなくてもそこまで考えてくれていることに嬉しさを感じつつ、でも自分でプレイしてくれたほうがよかったのに!
……と考えてから気付いた。なるほど、本作のユーザー体験の本質とは、必ずしもゲームプレイの中にはなくて、それぞれが感じたことを考察したり、それを他者と共有したりして、そこでまた新たな“気付き”を得ることだったりするのだろう。
そう考えると、本作は必ずしも自分で前情報なしでプレイしなければ楽しめない、というわけではないのかもな。
だから、これまで俺はDDLCは自分でプレイしてこそだと思っていたけど、いや、“その後”が重要なのだと気付くことができた。ありがとう。
ところで、「モニカ擁護/叩きの二極化したコメント」とのことなんだけど、「モニカ擁護」はわかるんだけど、「モニカ叩き」というほどのコメントはここにはなかったように思う。
世間の風潮として、モニカに共感しなければならない、みたいな同調圧力(あるいはこの記事のような感想文においても、俺のように明け透けに綴るのではなく一定の配慮をするような)がある中で、モニカが嫌いという率直な感想を目にしたとき、ついつい共感があふれ出して筆が進んでしまった、という面はあると思うよ。
でも、少なくとも俺は、本当にモニカのことが嫌いなわけではないよ。本当に嫌いだったらこんな長い記事なんか書かないよ。「“愛”の反対は“無関心”」ともいうし。
ただ、ナツキを奪ったことは忘れないからな!w