予想外の展開で話題の海外製無料アドベンチャーゲーム『Doki Doki Literature Club!』。

本作は一見するとありふれたポップなギャルゲーで、ヒロインたちはいかにもといった具合にステレオタイプで魅力的なキャラだ。

しかし、本作は一見しただけでは決してわからない奥深さを秘めている。

本作の2周目以降をプレイすると、1周目の時点ではいかに彼女たちのことを理解していなかったかを思い知らされる。

つまり、みんなそれぞれが深い何かを隠し持っていたのだ。

まあ、隠していたのだから俺のせいではないのだが……

今回は、本作のそんなヒロインたちに関して俺が思ったこと、考えたことを綴っていくが、安定の長さになっているので、そのつもりで

この記事には本作に関する重大なネタバレと、「お子様や心を乱されやすい人」には適していない衝撃的な描写を含む。

 

[OK]

サヨリ

みんなの幸せを一番に考えている、天使のような女の子。

しかし、自分のことはあまり考えていない、というより自分にその価値はないと考えている。

幼なじみである主人公にすら打ち明けていなかったのだが、彼女はうつ病を患っていたらしい。

元々そうであったらしいのだが、主人公に告白したりすることを阻止しようとしたモニカの「操作」によりさらに重症化した。

サヨリは主人公を遠ざけるようになったのだが、主人公はそんなサヨリにも変わらぬ友情、ないしは愛情をもって接し続けたため、モニカの計画は頓挫。

さらに弄り回しているうちに、サヨリは自殺してしまったのだという。

さらにその操作の副作用がゲーム自体にも現れ、「An exception has occurred.」とのエラー表示がその第一歩となった。

とはいえ、モニカによるとサヨリは元々精神を病んでいたため、遅かれ早かれ自殺してもおかしくなかったとのこと。いや、モニカがそう言っているだけだし、それを意図的に悪化させたモニカに言われたくないが。

サヨリは、うつを患った自分を無価値だと感じ、こんな自分に主人公がこれ以上構わないようにと、主人公を文芸部に誘い、別の友達を作らせようとしたのだった。

そして、開発者のSalvato氏によると、サヨリは同氏が幼少期を共に過ごした友人をモデルにしているという。

サヨリとのイベントで語られる幼なじみとしてのエピソードも、その友人との思い出を基にしているそうだ。

そう考えると、3周目のモニカの「話題」の中にある、うつになった友人との付き合い方に関する話には、氏のうつに対する特別な思いが込められているのだと思う。

「先のことの予定を立てたり、何か物を貸してあげたり、『また明日学校でね』と言ってあげるだけでも……それらはすべて、友達が明日を迎える助けになるわ」

……キャラ紹介一人目にしていきなり重い話だが、これもモニカがいなければ、ただの天使のような可愛い女の子、というだけの「都合のいい」「ありきたりな」「薄っぺらの」キャラになっていたのではないか?

つまり、そのギャップこそが氏の描きたかったものなのだろうが。

ところで、1周目の4日目に、モニカはサヨリに何と言ったのか。

おそらくモニカは何か「入れ知恵」をしたのだろう。

その内容については想像するしかないが、例えば「サヨリは主人公を心配させ、苦しめている」とか。

だからサヨリは主人公を避けようとしたが、休日に主人公と話し、あらためてその優しさに触れたサヨリの心は、モニカの言葉と主人公の言葉の狭間で真っ二つに引き裂かれてしまった。

それが、サヨリの最期の詩のタイトル『%』の意味するところなのだろう。

プログラムの力を使って頭の中に刷り込まれる、モニカの言葉。

それがサヨリに自殺を最終的に決心させたのだろう。

「Get out of my head」(私の頭から出ていって)

「before I listen to everything she said to me」
(彼女が私に言ったことを私が全部聞いてしまう前に)

では、この詩はいったいいつ書かれたものなのか。

死の直前に書かれたものに見えるが、サヨリの死亡推定時刻は1周目最終日の朝であり、モニカがパンフレットを印刷するのにはとても間に合わない。

俺の個人的な考えを提示するが、この日サヨリが目を覚まし、おそらく主人公が起こしに来るのを待っていたところ、モニカの言葉が頭の中に入ってくる。

サヨリはその言葉に苦しみながら、遺書となる詩を書く。

モニカはその詩を、プログラムの改変によってパンフレットに反映させる。

そして主人公が登校して部室に来た時、モニカが「You kind of left her hanging this morning」と発言したあたり、遅くともその時点でサヨリは首を吊っていたのだろう。

※ hang は人について目的語なしに使う場合は基本的に「首を吊る」という意味だが、一方で「うろつく」「人と付き合う」「だらだらと過ごす」などを意味する日常表現にも使われるので、おそらく意図的なダブルミーニングだろう。

それなら、もし主人公がサヨリを朝一番に迎えに行ったなら、サヨリの自殺を止められたのだろうか。

もしそれが可能だったとしても何も解決しないし、結局サヨリは自殺に追い込まれただろうが……

主人公がサヨリの部屋に踏み入ったとき、ロープに吊るされたサヨリはまだ揺れていた。

いったいどのくらいの時間揺れ続けるのかは知らないが、サヨリが息絶えてからそれほど長い時間が経過したわけではないのだろう。

この点については、神とモニカのみぞ知る、といったところか。

ナツキ

強がるためにツンデレを演じているが、内実は素直で思いやりもある、可愛いものが好きな女の子。おまかわ。

その強がりは不安の裏返しであり、それは実際にこの種の性格を持つ人なら誰もがそうなのかもしれない。

しかし、世の多くのステレオタイプなツンデレキャラは、ただ可愛いから、萌えるからと、意味もなくそういった性格と言動のパターンを当てはめられているのではないか。

ナツキの場合はそういう性格になった理由に触れられている。

3周目のモニカの「話題」にもナツキの性格に関する言及があるが、1周目でもモニカや主人公自身も言及している。

まず、ナツキが強がっているのは不安を覆い隠すためであること。

また、彼女は友人同士で行われる「弄り」を気にしていたため、いつも身構えた態度を取っていたこと。

そして、しかしながら彼女は決してわがままではないこと。

だが、本作において彼女に関する最大の関心事は、彼女の隠された「事情」のことだろう。

1周目において、彼女に大きな問題があることを示唆する記述はほとんどない。

せいぜい、父親が厳格なため、家にマンガを置いておけないとか、男子を家に上げることができないとか、その程度だ。

彼女の二つ目のイベントにおいて「今日はついてなかった」という話が出てくるが、何があったのかはわからずじまいだし。

しかし、2周目には彼女の境遇や父親に関する言及が怪しいものになっている。

例えばナツキは、家にマンガを置いているのが見つかると、父親にこっぴどく殴られてしまうと発言したし、モニカによるとナツキの父親は彼女に昼食代を与えず、かといって家にも食べ物を置いておらず、そのせいで成長期には慢性的に栄養不足であり、結果として彼女の身長はかなり低い(設定では149cmらしい)のではないかとモニカは推測している。

もし本当にそうであれば、それは紛れもない「虐待」であろう。

ただし、前者はモニカによって発言が改竄されたことを思わせる演出があり、後者は完全にモニカの発言に拠っており、信憑性は不明だ。

ところが、サヨリやユリと違い、ナツキの「問題」は最後まで表に出ることなく終わる。

3周目のモニカの「話題」でも、「彼女の家庭の事情には触れないでおく」と言い、直接的にも間接的にも最後まで語られることがない。

結局ナツキは自殺をしないし、多少愚痴ることはあっても自分のことを具に語らないので、この問題は意図的に隠したままにされているか、意味深なことをあえて言っているだけで大きな問題ではなかったかのどちらかだろう。

彼女の問題を考察するうえで興味深いのが、2周目に(ランダムで)読める「特別な詩」の一つ、『Things I Like About Papa』(私のパパの好きなところ)の記述だ。

早く家に帰ってくる時のパパが好き
夕食を作ってくれる時のパパが好き
お小遣いをくれる時のパパが好き
一緒にいてくれる時のパパが好き
(中略)
私を起こさずに帰ってくる時のパパが好き--------------------------------
(後略)

ゲーム内より(LABEによる翻訳)

これは、皮肉の意味で捉えるべきものだろう、つまり、普段はいずれもそうではないということだ。

すなわち、ナツキの父親はいつも帰りが遅く、夕食を作ってくれず、お小遣いもくれず、一緒に過ごしてくれない……

しかし、これらの内容がすべて真っ赤な嘘であるというわけではないはずだ。

なぜならナツキは少なくとも、父親のことが好きであるようだからだ。

つまり、彼は時にはそうすることもあるのだろう。

これはナツキの父親に対する愛憎を表現した詩なのかもしれない。

それは何行かおきに行末に現れる謎のハイフンの連続(何かの区切りなのか、伏せ字なのか)と、最後の2文に現れているように感じる。

(前略)
疲れて何もできない時のパパが好き------------------------------
疲    れ   て    何   も
   で   き  な   い   時   の
  パ   パ   が    好   き

ゲーム内より(LABEによる翻訳)

ハイフンの意味するところは定かではないが、最後の1文について俺の考えでは、パパについて皮肉を書いているうちに、いろんなことが嫌になってきたのだろうか。

さて、この詩についてもこれらの皮肉が本当なら、かなり問題のある父親だと言わざるを得ない。

しかし……この詩は本当にナツキが書いたのだろうか、または父親の実態を正確に表しているのだろうか。

2周目のことなので、もはや何もかも信じるに値しないのではと思ってしまう。

また、本当だとしても多くの疑問が残る。

ナツキは昼食代ももらえないと言いながら、マンガの全巻セットを買うお金があるし、家に食べ物がないと言いながら、カップケーキを作って学校に持ってきたりしている。

前者については、たまにマンガを買うくらいのお金は何かしらで入手しているのかもしれないが、昼食代ももらえないくらいなら、買ったマンガは後生大事に何度も読み返すのが自然だが、ナツキは過去の巻をめったに読み返さないと言っている。

後者については、食べ物も家にストックしていないのに製菓材料をストックしているのもおかしいし、ナツキが貴重な小遣いで買っているとしたら、それはそれで我慢の優先順位がおかしいと思わざるを得ない。

そもそも、お菓子作りというお金のかかる趣味をマンガの影響でわざわざ始める必要もない。

さらに言えば、ナツキは文化祭について、いろんなおいしいものを一日中食べられる日だと言っているが、そんなお金はあるのだろうか。

ユーザーコミュニティの間では、ナツキの父親は「アルコール依存症で酒乱」であるという説もある。

すなわち、酒に酔って帰りが遅くなり、家に帰っても騒いではナツキを起こしてしまう、たまに機嫌がいいと気まぐれに小遣いをくれる、というふうに詩の内容に合致する説となっている。

しかし、この場合に気になるのは、これまた3周目のモニカの「話題」の中で語られる、文芸部でのとあるエピソードだ。

ある日、ユリが部室にワインの小瓶を持ち込み、誰か飲まないかというそぶりを見せたらしい。

その時ナツキは大笑いしたというが、実際には少しだけ飲んでみたいようだったらしい。

だが、もし父親が酒乱でナツキにひどい仕打ちをしているなら、彼女はアルコールに対して決して良いイメージを持っていないはずで、大笑いしたり、飲んでみたいと思うなどありえないだろう。

また、1周目にあった他の言及だが、ナツキの「今夜は父親が夕食を作ってくれるから、できるだけたくさん食べなければならない」という発言も普段は食事を満足に与えられていないことを示唆しているが、そのような親の場合、正直言って必ず約束を守ってくれるとも思えないので、「(それまで)お腹を空けておかなければならない(からカップケーキを食べない)」というのはリスクが高い心がけに思える。

そこで俺が考える説だが、ナツキの父親が虐待気質だという話は、モニカが2周目でよく仕掛けていた「誇張」の一つであって、1周目の状態ではそれほどひどいものではない、あるいは虐待ですらないものだったのではないか、というものだ。

上記の考察はすべて、ナツキが受けているという仕打ちと、実際の言動の間の矛盾を浮かび上がらせている。

そもそもナツキに対する虐待は作中で「仄めかされている」のにすぎず、サヨリのうつ病やユリの自傷癖と違って実際にそれが描かれたこともなければ、モニカすらそれを断定的に発言したことはない。

2周目でのユリのナツキへの発言「自販機の下に落ちているお金を拾いに行ってはどうか」と「今度新しいマンガを買ってあげる」については明確な反論はできないが、これらもただの誇張の結果だとみなすことはできる。

ナツキが好きすぎる俺の勝手な願望だとしても、俺はこの説を主張していきたい。

それと、2周目の「特別な詩」のことだが、そのいくつかは確かにサヨリ、ナツキ、ユリに関するもので、ユーザーコミュニティの間ではそれらは本人が書いたものとの説が大勢を占めているようだが、俺はそれにも懐疑的である。

タイプライター風の表示でゲーム上に現れる時点で、少なくともモニカが書き取ったものであり、そこに改変の余地があるからだ。

少なくともサヨリのものは、指先が赤く色付けされているという点で、本人が書いた(描いた)とは全く考えられない。

ところでナツキに母親はいないのかと気になるところだが、いないのかもしれないし、いたとしても父親と大差ない母親なのだろう。

 

それにしても、ナツキについては上記の解けない謎も含めて、いろいろと不完全燃焼な感じを受けるのだが。

なにしろ、1周目はサヨリがストーリーの軸で、2周目はユリが軸だったのだが、それに対してナツキにはスポットが当たっていないのではないか?

開発者のSalvato氏がユーザーからの質問に直接答える企画があった時、このことを指摘したユーザーがいて、それに対して氏は、ナツキについてもっと多くのシーンを描きたかったと認めている。

とはいえ、本作はギャルゲーとしては小規模な部類であり、ナツキに限らず他のヒロインのことももっと描きたかったというのが本音ではあるようだ。

ナツキが本当に大きな問題を抱えていたかどうかはともかく、たまたまナツキがそういう役回りだったということなのだろう。

そのかわりというか、2周目にナツキルートを目指していると3日目に遭遇することになる、ナツキの偽エンディング(PLAY WITH ME!!! の辺り)が仕込まれている。

このエンディングも、何を表しているのかよくわからないが……少なくともナツキは無事だし、アレはただの幻か?

……ここまで書いて思ったのだが、さすがにナツキのこととなるといくらでも書けるな、俺。

ユリ

人見知りで、人よりも本の世界に安らぎを見出す文学少女。

いや、人見知りというより人を避けていて、自分は嫌われているという強迫観念に囚われており、それでも彼女にやさしく接する主人公に対しては逆に強い執着を見せる。

自傷癖があり、腕には無数の生傷が刻まれている。

それに用いるナイフにもこだわりがあり、多数をコレクションしているらしく、それらを日替わりで校内に持ち込んでは、事あるごとに校舎の片隅で腕を傷付けているらしい。

2周目に読める「特別な詩」には、そんな彼女が病院に連れて行かれそうになっているかのような描写があるが、どういう精神状態で自傷に及んでいるのか、また治療を受けているのかどうかなど、不明な点も多い。

1周目では彼女の自傷に言及する人はいないが、彼女と休日を共に過ごした場合、それを強く示唆するシーンが見られるので、おそらく元々彼女には自傷癖があったのだろう。

2周目に入ると、2日目のナツキとの口論におけるナツキの発言「もう(自分を傷つけることを)してるんだったわね」に始まり、モニカの直接的な忠告や、ユリのイベント中に彼女が豹変した時の本人の発言など、もはや隠すことなくそれが言及される。

とはいえ、ナツキもモニカもそれを知っていたことになるのだが、それは1周目の時点でもそうだったのだろうか。

2周目の「特別な詩」の中に、おそらくモニカによるものと思われる、自分の腕を切ってみて■■(ユリ)の気持ちを知ろうとした、というものがあり、作者はその時の気持ちを「爽快だった」と書いている。
※ちなみに俺はこれを1日目の終了時に読んだが、それが俺が本作において初めて血の描写を見た瞬間だった。と思ったら、実は1周目のサヨリの自殺シーンにおいて、彼女の両手はよく見ると血にまみれている。

「特別な詩」については、その真偽も書かれた時期もよくわからないので、この詩についても確実なことは、単なる今後の暗示、くらいしか言えないのだが。

2周目でモニカがユリに対してしたことは、その執念深さを増幅することだったらしいが、それでも主人公はユリを嫌いにならず、むしろユリは他の女の子たちを主人公から遠ざけて誰とも一緒に過ごせないようにしてしまったので、モニカにとっては裏目に出てしまった。

しかし、2周目のユリの最期のシーンは……

ユリの告白を受け入れるかどうかの選択肢からして、まず4日目はそもそも主人公の存在感が希薄であり、選択肢も「はい」「いいえ」というRPGのように無機質なものだったが……

どちらを選んでも何も変わらず、ユリは狂ったように高笑いしながら、自分の腹と胸をナイフで突き刺し、息絶える。

これがモニカによって不安定に改変されたユリの精神の限界だったというわけか。

その後の週末を過ごすシーンは、ゲーム内とメタフィクション的なゲーム外要素を融合させた、本作でも屈指の巧みな演出だ。

ここでロードまたは再起動を試みたプレイヤーは誰しも、その後目の当たりにするものが変わらずユリの死体であることに、ユリを救うことができないことに、そしてそれが徐々に経過する時間を無情にも描いていることに、大いに絶句するに違いない。

俺の個人的なユリに関する関心事は、ナツキとの仲である。

ナツキとユリは、1周目でも2周目でも詩の書き方をめぐって口論になるほか、二人のウマが合わないことを示す事例は少なからずある。

サヨリによると、主人公が入部するまでは二人がケンカすることなどなかったとのことだが……

2周目での情報だが、ナツキによると、ユリはそもそも主人公が入部するまで部の中で誰かと話すことすらなかったらしい。

話すこともないならケンカなどするはずもないのだが……

ただし2周目ではムードメーカーであるサヨリがいなかったため、ユリがより内向的であった可能性はある。

一方で、ナツキの詩『I'll Be Your Beach』はユリを励ます内容となっており、2周目ではお互いに「嫌いではない」と言ったり、ユリの様子がおかしいことを心配したナツキが主人公に助けを求めるメッセージを託し、しかもその中でナツキはいつもユリと仲良くしようとしていたと明かすなど、二人の良好な関係を窺わせる描写もある。

4周目に至っては、二人は互いの趣味を尊重さえしていた。

ここで考えられるのは、二人は性格こそ真逆であるものの、けっして不仲ではなかったということだ。

ただ、そこに主人公が現れたことにより、二人が主人公の「気を引こうと」して衝突が生じた、というのはギャルゲーではよくある話だ。

もしくは、ナツキが一方的にユリと仲良くなりたがっていたとも考えられる。

ユリは主人公にもなかなか心を許さなかったくらいだし、ナツキのことを殊更に嫌ってはいなかったとしても、友達だとは思っていなかった可能性は高い。

ところで、4周目のユリとナツキはやけに仲が良さそうに見えるが、ここで可能性として一つの説を提唱したい。

3週目までのモニカは、部長という立場を利用してゲームのプログラムを操作していたが、4周目のサヨリにもそれが可能だったとしたら……

サヨリなら、みんなが仲良くなるようにプログラムを改変する、ということも考えられないだろうか。

その結果、ユリとナツキはあんなに仲良くしていた、のかもしれない。

もちろんサヨリが何か弄ったという証拠は何もないので、あくまで俺の全くの想像だし、俺の中でも小さな可能性の一つとしてだが……

モニカ

成績優秀、スポーツ万能、おまけに容姿端麗でクラスの人気者。

どの部に行っても中心メンバーになれるほどの存在だが、あえて自分で文芸部を立ち上げることを選んだ、その結果……

文芸部の部長というものが、なぜ「全能の権限」を与えられるのか、作中では全く触れられていないのだが……

さっそく俺の説から提唱していくが、このゲームにおいて文芸部の部長とは、文芸部を舞台とした恋愛ゲームにおいて、主人公の恋を応援し、ゲームをハッピーエンドに導く「アドバイザー」だったのではないか。

この手のゲームには、そういう役回りのキャラもわりといるだろう。

残念ながらそういうキャラは攻略対象とはならず、ルートもエンディングもない。
ただしその後に「完全版」が発売された暁には、そのキャラも攻略対象になる。

普通そういうキャラは最後までアドバイザーに徹するが、もしモニカのように自我と自由意志を持ったなら……

主人公が攻略対象たるヒロインたちと恋仲になっていくのを外野からただ見つめているのは、さぞかし苦痛だったろう。

そう、まさに3周目の前半にモニカが言ったことだ。

俺はその発言を聞いてピンときた。

つまり、本来モニカはこの手のゲームによくいる「攻略対象ではないアドバイザー的なキャラ」としてこのゲームに生を受けた。

しかし、なぜかこのゲームの本質という知識と、プログラムを改変する権限を与えられた。

そうしてすべてを知ってしまったモニカは、アドバイザーに甘んじるのを潔しとしなかった。

それどころか、画面の向こう側にいる顔も見えない「プレイヤー」に恋をしてしまった。

その感情は最初は主人公に対してだったのかもしれないし、主人公に気のある素振りをしていたのは最初からプレイヤー目当てだったのかもしれない。

少なくとも、ゲームのキャラという枠組みを超えて「本物の人間」に近い存在となったモニカにとって、まさに本物の人間であるプレイヤーは憧れの存在であり、実に魅力的に映ったことだろう。

そして、モニカは自分の恋を成就させるために手を尽くして、ほかのヒロインたちを貶めた。

そう考えると、知識や権限を与えられてしまったことは不運に尽きるが、その後は悪意と身勝手さをもって事に及んだことになる。

みんな友達だったと言いながら……

しかし、それを知ってしまったのはいつからだったのだろう。

少なくとも、友達になって以降なのではないだろうか。

文芸部を立ち上げ、部員を探し出し、自分たちだけで楽しめる場にして、みんな仲良くなって……その後なのではないか。

でなければ、友達だったということすら嘘になってしまう……

つまりそれまでの間に、文芸部の部長でありながら「全知全能」でなかった期間が存在するのだが、それに関してはなぜ文芸部の部長が全知全能を与えられるのかという疑問に結びついてくるので、結局はわからない部分も多い。

 

モニカの性格に関しては、改変もなかったし(当然だが)、あまり語るべきものはないかもしれない。

3周目のモニカの「話題」を紐解けば、モニカのことをかなり深く知ることができる。

俺自身は3周目のプレイ中に、「話題」ゾーンに入って早々に嫌気がさしてしまったので、自分でしっかりと翻訳し、理解して検討したわけではないが、原文や訳文は一通り読んだ。

その中にあるモニカの趣味や嗜好――例えばモニカの好きな色とか、ベジタリアンであるとか――について論じても仕方ないので、それ以外のことを。

まず、モニカは部長らしく振舞うことは得意だが、他人を説得したり、ケンカを止めたりするのは苦手らしい。

とくに2周目では、モニカはより大胆にプログラムに干渉したりしているわりに、ナツキやユリが何かを主張したりしているのに真っ向からぶつかることができずにいた。

そういうものが苦手なことは咎められるようなことではないと思うし、それが身勝手なプログラムの改変に結びついたとも限らないが。

そういうのが得意なのがサヨリであり、だからこそサヨリは副部長なのであり、モニカ(と主人公)はサヨリを買っていたのだ。

また、モニカは自作の詩について、自信があるように振る舞わなければならないからそうしているのだと主人公に話している。

もしかすると、モニカは他人との関係について不器用な一面があったのかもしれない。

だから、良かれと思ってプレイヤーを「あの部屋」に閉じ込めても、プレイヤーの怒りを買って自身のデータを消されてしまうまで、プレイヤーの気持ちに気付かなかったのかもしれない。

エンディングテーマ『Your Reality』の3番の歌詞には、そんな不器用さが様々に綴られている。

「Is it love if I take you, or is it love if I set you free?」
(あなたを連れ去ることが愛? それともあなたを解き放つことが愛?)

「And in your reality, if I don't know how to love you」
(あなたの現実世界で、あなたをどう愛すればいいかわからないなら)

そう考えると、完璧な人間に見えるモニカも実際には、いろんな面でデリケートさや危うさ、不完全さを持った人間らしいキャラだったのだろう。

いや、人間らしさで言えば本作の他のキャラはもとより、大体のゲームのキャラよりは「人間らしい」キャラなのだろうが……ある意味で。

だってモニカさん、Twitterもやってるしねぇ……それも、本作が発表されるよりだいぶ前から。

まとめ

今回は、『Doki Doki Literature Club!』の登場人物それぞれを深く考察した。

あんなに長い感想を(しかも二つも)書いた上に、キャラだけでこれだけの考察を書けるのだから大したものだ。我ながら。

このところ、DDLCに関する記事をたくさん――記事数というより文字数が――書いてきたが、今回が一応その仕上げということになる。

というか、この記事を含む直近の三つの記事を、もともとは一つの記事として投稿しようとしていたのだった。

結局、書きたいことを書きまくっているうちに字数が膨らみ、執筆にすら支障をきたし始めたので三つに分割した次第だ。

おかげで、書きたいことはほとんど書けたと思う。

本作には大いに楽しませてもらったので、ファンパックを買ってお布施するだけでは足りず、まだ本作が日本では全くの無名だった頃から、PRする記事や感想記事などで普及と啓発に努め、少しは貢献できたかもしれない。

その後はファンアートを描いたり、二次創作の詩やその他の文章を書いたり、こうやって考察したり、まだまだ衰えを知らない情熱をもって、日本と世界のDDLCをさらに盛り上げていきたい。

いや、何よりも……俺自身が楽しむことかな!

本作にはまだまだ謎がある。議論や考察の余地がある。

魅力がある!

DDLCはまだまだ終わらない。

ただプレイが終わっただけ。

また現在、DDLCに関して「ちょっとしたもの」に取り組んでいるので、進展があれば公表したい。